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むきだしの映画そのもの——『トップガン マーヴェリック』感想

トップガン マーヴェリック:オリジナル・サウンドトラック (デラックス・エディション)(限定盤)(特典:なし)

 『トップガン マーヴェリック』をみました。負けたぜ。以下、感想。

 かつて海軍の精鋭パイロットが集まる訓練校、通称トップガンで名をあげ、実戦で敵機を撃墜して半ば伝説となった男、ピート・“マーヴェリック”・ミッチェル。押しを重ねても、その規律よりも自身の感性と野生とを重んじる性格は変わっておらず、試作機の実験をめぐって上官ににらまれていた。そんななか、「不可能な任務」の達成のため、彼は再びトップガンへと呼び戻される。パイロットではなく訓練教官として、新たな世代の精鋭たちを鍛えるために。集められた若者たちのなかに、かつての親友―—飛行訓練のさなか命を落とした男―—の息子がいることを知ったマーヴェリック。任務と友情、そして矜持をめぐるドラマがはじまる。

 1986年に公開され、トム・クルーズの名を一躍知らしめた『トップガン』の、およそ25年越しの続編は、もはや若者ではなくなったマーヴェリックを主人公に据え、ドラマの骨格はほぼ前作を踏襲しているにもかかわらず、極めて現代的に洗練された娯楽映画になっている。とにかく『トップガン』で印象に残るディテールがさらにスケールアップして贅沢な仕方で出てきて、しかしそれに嫌味な感じがしない。決死の訓練もバイクでの疾走、ドッグファイト、その他もろもろの魅力的な場面のすべてが、「もっと尺をとって映してもいいんじゃないか」という塩梅の時間感覚で切ってある気がして、みていてダレるということが一瞬たりともない。完璧に配分されたコース料理を食べている気分はもしかしたらこういうものなのかもしれない。

 その映画の気持ちよさというのが徹頭徹尾この作品の魅力で、それを下支えする「時代遅れのものたち」の擁護という通奏低音も、あまりあからさまな仕方で映画を支配していないのが心憎い。無人機の台頭で絶滅しつつあるパイロットたちが、さまざまな環境の変化でかわりゆく映画的なるものの喩であることの指摘はTwitter上で何度もみかけたが、それは本当にそうだろうと思う。その問題意識は、たとえば「なぜいま『スターウォーズ』を作らなければならないのか」という問いがむき出しになっていた『最後のジェダイ』とも響きあうものだと思う。『最後のジェダイ』はいくつかの素晴らしい場面はあるけれども全体としては間延びしていて優れているとはいえない映画と思うが、この『マーヴェリック』はほんとうにある種の映画の理想形といってもいいような映画になっとんのよね。

 というわけで、トム・クルーズ自身がその映画化権を買い取って、満を持して送り出されたこの『トップガン』の新作は、もうなんの文句もつけようのないきもちよい映画でした。むきだしの映画そのものがぐわっと立ち上がっているのをただみて気持ちよくなってしまったわたくしの負け。