宇宙、日本、練馬

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小林秀雄とROCKIN'ON―「モオツァルト」の罪について

 

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

 

  

小林秀雄「モアツァルト」と批評の真髄 モーツァルト、ジン=フリークス、平賀=キートン・太一 - 宇宙、日本、練馬

 先日書いた、小林秀雄の評論「モオツァルト」に関する記事に、いくつかコメントをしていただきまして、その中にこんなコメントがあったんですね。

日本の音楽批評におけるマイルストーンであると同時に、現在まで蔓延するロキノン的陶酔幻覚垂れ流し悪文の元凶でもある

 ああ、なるほどと。僕は小林のモーツァルト評にいたく感銘を受けた反面、ここで指摘される「悪文」の元凶という指摘にも合点がいった。まさしく、小林の文章は毒にも薬にもなる毒薬、パルマケイアーだったのだと。それでロキノン的な批評に、ちょっと、こう、文句をつけたくなったので、徒然なるままに書き連ねようかと思います。

 ”ROCKIN'ON”のスタイルとは

   ”ROCKIN'ON”には亡霊が徘徊している。そう、小林秀雄の亡霊が。

 そんな戯言はさておいて”ROCKIN'ON”のスタイルとは、いったいいかなるものなのか。かつて音楽雑誌『snoozer』の編集長だった田中宗一郎氏に関するWikipediaの記事が、まさしく核心をついていると感じたので、それを引用したいと思います。

作品のレビューではアーティストに対して極端に心酔する過剰な表現による文体が特徴(ただ、近年はむしろシニカルなブラックユーモア色を強めた筆へと比重が変化してきている)。特に全作品で日本盤のライナーノーツを手掛けるレディオヘッドに対してはその特徴が顕著に現れており、ある作品では「助けて」という単語を数行に渡って連呼する前代未聞の寄稿をしている。

田中宗一郎 - Wikipedia

 アーティストに対して極端に心酔する過剰な表現による文体、もしくはシニカルなブラックユーモア気取り。これはかなりの的確な指摘なんじゃなかろうかと僕は思います。これが小林秀雄の正嫡の子孫だとはいわないまでも、事実を飛び越え真実にむかって命がけの跳躍を果たさんとする、小林のスタイルと相通ずるものがなきにしもあらずだと思うんですよね。「事実」の軽視という一点において。小林という一個の天才だからこそ、「事実」を飛び越えて説得性のある真実に到達できた。しかし小林ほどの類稀なる評者への憧憬から、そのスタイルを継承した人たちが、小林の毒の部分、つまり「事実の軽視」だけしか真似できなかったんじゃねーかと。こういう認識のもとで、さきのコメントは書かれたんじゃねーかと僕は解釈したわけです。

 一応断っておきますが、僕は ”ROCKIN'ON”の熱心な読者であったことはないし、これからもそうだと思います。とはいっても、全然読んだことがないとかではもちろんなくて、高校生の時分にはわりと読んでいました。立ち読みですけどね。しかし最近はネットのサイト”RO69”でたまに記事を読むくらいで、雑誌媒体は全然読んでない。

 しかしそれでも、この特徴は当を得ていると感じる。「助けて」を連呼するライターは唯一無二だとしても、どこか自己陶酔していて、評する対象である音楽そのものに対する言及がおざなりになっているのではなかろうかと。

 とはいっても、もちろんすべてのライターがそうであるわけではないと思いますし、むしろ少数派なのかもしれません。しかし、その少数派の書く文章から放たれる、耐えがたい自己陶酔感がどうしても好きになれない。結果、もうほとんどサイトを見ることもない。

松村耕太朗氏のクリープハイプ

 僕がそういう印象を持つようになったきっかけは、結局のところあるひとつの文章に帰結する。出来るものなら全文転載したほうがどう考えても僕が文章を書くのに都合がいいんですが、それはサイトの利用のマナーに反する行為なので*1、その記事へのリンクをはるにとどめようかと思います。その記事がこちら。

クリープハイプ 吹き零れる程のI、哀、愛 | 邦楽 | ディスクレヴュー | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト

 ロックバンド、クリープハイプのセカンドアルバムに対するディスクレビュー。書いているライターは松村耕太朗氏。この方がどんな方なのか、僕は知らないし、このほかに氏の文章を読んだことはない。しかしこのディスクレビューに、小林のモーツァルト評の、究極的に堕落した形態を無る事ができるのではないかと僕は思うのである。

 句読点込みで458文字のこのレビューのなかには、音楽そのものに対する言及はほとんどないと言っても過言ではない。これまで「カン高い声やエグい歌詞」で「性急なロックンロール」を鳴らしてきたロックバンドであるクリープハイプが、「残酷さも皮肉も優しさもポップさも、すべてを一回り大きな表現力で引き受けて」いる。そのことしか、このアルバムの本体である音楽そのものへの言及がなされない。

 音楽そのものへの言及がなされなくても、バンドについてだとか、構成員の語った言葉だとか、そういうアルバムにまつわる情報が書いてあったら全然いいと思うんですよ。しかし、このレビューで、なぜか松村氏は己の現代社会に対する認識を滔々と語る。

スマホとかSNSとかで人間関係が気軽になって、みんな繋がりが増えて楽しいふりをしてるのに、自分の価値まで相対的にどんどんカスみたいに下がる現実に、心が耐え切れないでいる。それに愛だのセックスだのが絡んだらもう目も当てられないのが実際で、期待はずれと後悔にまみれて、それでも自分が自分であることの痛さと向き合って、なんとか日々をやり過ごしてる。

 そんな世界に対して挑んできたのがクリープハイプというロックバンドなのだ、というのが松村氏の語る「世界観」なわけだが、はたしてこれは全体の3分の1を使ってまで書かねばならないことだろうか。「スマホとかSNSとかで人間関係が気軽になって、みんな繋がりが増えて」という認識は百歩譲っておくにしても、その中で人が「楽しいふりをしてる」と断定し、あまつさえ「自分の価値まで相対的にどんどんカスみたいに下がる」のが「現実」だと論じて見せるその痛々しさには閉口するしかない。それは松村氏にとっては「現実」かもしれないが、はたしてそれは多くの人に共有されている「現実」の像なのか?そしてそれがクリープハイプというロックバンドの提示する「現実」だとはたして言いきることが可能か?僕はそうは思わない。

 自分の認識とアーティストの「世界観」を同一化してみせるこのスタイルを、自己陶酔と呼ばずしてなんと呼ぼう。そしてレビューはこう締めくくられる。

ついに時代そのものが、クリープハイプという名前で鳴り始めたゾクゾクするような実感がある。つまりこのアルバムは大傑作だ。マジにすげえ名作だ。これを共有して前に進めることを、時代の希望と呼んだっていいだろう。必聴。

 「時代そのものが、クリープハイプという名前で鳴り始めた」。時代という時代がかった巨大な主語。それが「クリープハイプという名前」で鳴り始めたとはどんなことを指すのか。ここまで大げさなことを真面目腐って書いて見せるその根性には敬服する。むしろ、これはある種の「おふざけ」で、そんなことに小林の亡霊をみてとって批判している僕自身が一番滑稽なのかもしれない。

 しかしそれでも。音楽関係の編集社の、音楽関係の評論として、こんな文章を掲載する根性はいかがなものかと思う。音楽雑誌には音楽を語ってほしいのであって、それをすっとばして「時代」なんぞ語ってほしくない。「時代の希望」を語ることもまた、芸術に携わる人間の、ひいてはそれを批評する立場の人間の使命なのかもしれない。しかし芸術に対する深い洞察から導き出された「時代の希望」でなければ、それにどんな意味があろうか。芸術を味わいぬいた末に現前した希望こそ、芸術に携わる人間にしか提示しえないものであり、唯一固有の意味を持ちうるものなのではなかろうか。芸術に対する洞察抜きにして、うすっぺらな「時代の希望」をぶちあげんと試みた松村氏の姿勢に、僕は途轍もなく浅はかなものを感じるのである。

 

あるべき音楽評について―歴史学から考えたこと

 メロスに政治がわからぬように、僕もまた音楽がわからぬ。音楽を語る言葉を1ダースも持っていない。だからここで生産的な代替案を示すこともまた、僕には出来ないように思われる。というのも無責任に過ぎるので、歴史学に携わる人間の姿勢を端的に表した文章から、なにかしらのことを引き出したい。

過去を生きた人たちの喜びや楽しみにしても、苦労や苦しみにしても、正確にはわれわれはそのごく一面しか推察できないのだ、という限界についての謙虚な自戒が、歴史を問うにはまず必要だと私は考えている。
福井憲彦歴史学入門』p8

  「ごく一面しか推察できない」という「限界についての謙虚な姿勢」。これこそまさに、松村氏のように性急に「時代の希望」を語らんとする欲望をくじくものでもあり、同時に小林秀雄のスタイルともかけ離れたものではなかろうか。

 小林のごとき天賦の才を持つ批評家にとって、「謙虚な自戒」など想像の翼をもぐ制約にすぎないかもしれない。しかし、その他多くの凡人にとってはどうか。むしろ自分の領域に謙虚にとどまり、その制約の中で己を磨くことこそ、天才の想像力に一矢報いるためのひとつの方途だと僕は思う。少なくとも、松村氏は想像の翼で命がけの跳躍を試みるよりは、地に足をつけた音楽評をすべきだ。

 こうした謙虚さを取り戻すことこそ、自己陶酔的ロキノン的な音楽評の跋扈する現状を打破するための戦略であるとともに、小林秀雄の亡霊を払う唯一の手段ではなかろうか。

 

 

 

歴史学入門 (岩波テキストブックスα)

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