『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』をみたので感想。
1961年、アメリカ合衆国。病に倒れたフォークシンガー、ウディ・ガスリーのもとを、ある若者が訪ねる。その男の名はボブ・ディラン。ギターと身一つでヒッチハイクしてきたというこの男の才能を見込んで、名の知れたフォークシンガー、ピート・シーガーは世話を焼いてやる。やがてディランの稀有な才能は多く人の知るところとなり、この若きシンガーソングライターはフォークの新たな担い手、若者の代弁者のごとき存在になっていく。そうしたなかで、ディランはまったく新たな道に踏み出そうとしていた。それが必ずしも歓迎されないことはうすうす感づいていながら、男は偉大な一歩を踏み出す。
『フォードvフェラーリ』のジェームズ・マンゴールド監督による、生きる伝説ともいうべきシンガーソングライター、ボブ・ディランの若き時代を描いた伝記映画。ボブ・ディランを演じるは、世界一の美男子、ティモシー・シャラメ。シャラメとディランは必ずしも似ていないと思うのだが、歌声の吹替なしに熱唱するその姿の迫力に、みているうちに両者が違和感なく重なってくる。恋人のシルヴィ(モデルは『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のジャケットに映るスーズ・ロトロ)はじめ、関係する女性たちにかなり不誠実な態度をとるが、しかしそういう身勝手なふるまいによって精神の均衡を保っているようにもみえ、そのあたりある種の弱さをさりげなく映しているようにも思えた。
シャラメだけでなく、エドワード・ノートン演じるピート・シーガーや、モニカ・バルバロによるモニカ・バルバロなども俳優自身による歌唱で、『ボヘミアン・ラプソディー』とは一味ちがうぜ!という気合の入りよう。マンゴールドはかつてジョニー・キャッシュを主役にした『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』も監督しているが、この映画でもキャッシュがディランの先輩格として、印象的な出番を与えられている。
シャラメのディランがすばらしいのは言うまでもなく、そのメンター的な立場を演じるエドワード・ノートンがいぶし銀の仕事ぶり。エキセントリックなところがあるわけではなく、ディランをやさしく見守るそのおおらかな存在感が、派手ではないが見事なものだったと思う。
原作はイライジャ・ウォルドによるルポルタージュ『ボブ・ディラン 裏切りの夏』(原題:Dylan Goes Electric!)で、この原題にほとんどこの映画のドラマは言い尽くされているが、映画のタイトルを「ライク・ア・ローリング・ストーン」の一節からとった”A Complete Unknown”にしたことで、なんとなく深みが増しているような気がする。エレキギターを手にしたディランへの反発は、現在のわれわれには直感的に理解しがたいような気もするのだが、この映画でフォークの旗手として頭角をあらわすさまを追っていくと、その文脈もなんとなくわかった気になる。
クライマックスは、ほとんど伝説と化している、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでのパフォーマンスになるのだが、エレキギターを手にしたディランへのブーイングと反発のなか、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を含む3曲を演奏するこの場面は、音楽映画のクライマックスとしてはかなり異質。観客に歓迎されないまま、自分の信じる道を貫くこの場面は、半世紀以上の時を経て、「ライク・ア・ローリング・ストーン」が不朽の名曲として遇されていなければ到底許容されないだろう。
ボブ・ディランはその才気で時代を変えた。この映画にはたしかに、その孤独な革命の達成を写し取ることに成功していると思う。