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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

テクノロジーと人間の未来―『伊藤計劃トリビュート』感想

読書

伊藤計劃トリビュート (ハヤカワ文庫JA)

  『伊藤計劃トリビュート』を読みました。アニメ映画公開も近いよなーとなんとなく手にとってみたんですが、半端なく面白かった。SF全然読まないマンなので寄稿されている方の作品を全然読んだことはなかったのですが、伊藤氏のトリビュートである以上に知らない作家との出会い的な意味で読んでよかったです。以下、各篇ごとに感想を。核心には触れていないつもりですが、ネタバレは含まれますのでご留意ください。 

 

藤井太洋「公正的戦闘規範」

 無人の殺人ドローンが跋扈する、近未来の中華人民共和国人民解放軍はもとより、新疆を根城にするテロリスト集団、東トルキスタンイスラム国(ETIS)もまた、それを実用化し、世界は泥沼のなかにはまり込むかに思われた。

 中華人民共和国という「新しい革袋」に、古い酒を注ぎ込んだ一篇。古い酒、というのは文字通り古いもの、というわけではもちろんなく、SFでおなじみの「新奇な技術」であるわけですが。今年メディアを賑わせたドローンや、スマートフォンのゲームが重要なガジェットとして登場する。スマホのゲームが実は...という展開は『PSYCHO-PASS サイコパス 2』でもあったし、今後いかにもありえそうな仕掛けとして大量消費されそう。いやもうされてるのか?

 狭い島国に住む僕には想像しがたいほどには広い領域にまたがり、そしてなにより様々な民族が混在する他民族国家である中国。その舞台設定にまず引き込まれました。情報統制やら都市と辺鄙な地方の露骨な格差やら、ほんの少し先の未来とはちょっと思えないほどディストピア感があふれているにも関わらず、リアリティは一片も失われない。なんていうのは僕の中国への偏見が問題なのかもですが。テクノロジーによってもたらされる、終わりなき虐殺の連鎖と反復。それを堰き止めるORGAN(=オルガン≒器官)を提示してみせているという点で、紛れもなく、直接的すぎる伊藤への応答。伊藤が紡いだかもしれない、しかし現実には紡ぐことのできなかった物語のひとつは、確かにこういう手触りであったのかも、なんて思いました。

 

伏見完「仮想(おもかげ)の在処」

 私には姉がいる。姉には物理的な身体はない。無数の演算処理が、彼女を現前させる。いつでも私のそばにいた姉。彼女のそばにいることしかできなかった私。最期に辿り着く、彼女の居場所は。

 「テーマは百合です。たぶん。」これに尽きる。語り手である「わたし」の成長とともにテクノロジーも移ろい、それが私と姉の関係を変えてゆく。そのひとつの臨界までを短い紙幅のなかで描き切っていて、すげえなと思いました。窮極的には、私たちの認識のなかで他者が占める、占めうる位置、その在処というのはそこにしかないのかも。

 伏見さんはこの短編が商業デビューなんですね。すげえ。

 

柴田勝家南十字星(クルス・デル・スール)」

 文化技官。かつてコンキスタドールに従い歴史を綴ったという者たちと同じ名を冠した人々が踏むのは、かつてのような未踏の新世界ではなく、管理された社会とそうでない社会の境界線。

 あまりにも柴田勝家すぎる風貌で話題になった柴田勝家さんの一篇は、『ハーモニー』を彷彿とさせる生と身体を管理するシステムにほぼ覆いつくされた世界が舞台。脳を手術することで、(おそらくは)圧倒的な利便性と、それと裏腹の不自由さの中で人々は生きている。そういう仕方で人類は一つになろうとしている。

 世界のなかで管理の外におかれた/もしくは自発的に外に留まる「難民」たちを、システムの内部に組み込もうとする圧力は当然存在し、その先兵となっているのが軍隊。その組み込みが、無駄な血を流すことなく「自然」に行われるよう取り計らうのが、文化技官。文化人類学者である主人公のシズマは、そんな立ち位置に居る。

 知と(生)権力と管理社会、という古典的なモチーフ。それを内部と外部の境界線上にいるものたちの目から語りなおす、というのが戦略なんでしょうか。今後書かれるという柴田さんの第二長編の冒頭部分であるというこの物語には、その到達点をみてみたいと思わせる強い魅力を感じました。

 

 吉上亮「未明の晩餐」

 多分、普通は「最後の晩餐」というのはそれと意識されることのないさりげなさで供され、食されるのではなかろうか。死というものがいつ如何なる時に如何様に襲ってくるか、人は知ることができない以上、それは必然。しかし「最後の晩餐」が明確に意識されうるシチュエーションもまた存在する。これは、そのような極限の中に自身の身を置く料理人の物語。

 なんて風に紹介してみるとSF要素が見当たらなくね、となるのですが、その女料理人が活躍するのは、大規模な災害によって地球の環境が激変したとされる未来。かつて無数の人が移動のために足を運んだ場所はすっかりスラムの様相を呈し、ある種の人々にとって終の棲家ともなっていた。そんな世界では、食事という営為もまた別様に変化しつつあり、その変化のなかで産み落とされた子供たちと、女は出会う。

 時に残酷な形で「最後の晩餐」を供することにもなりながら、女は料理を作り、それを食べさせ、そして自身も食べ続ける。食というエッセンシャルな営みに焦点をあてた、ひとつの人間賛歌だと僕は思いました。

 

仁木稔「にんげんのくに」

 「人間」。そのカテゴリーは時と場所により範囲を変えるけれど、この世界の人々にとってそれは自身が直接かかわりあえるところ=村の中に住む人々をさしているようだ。「人間」のなかにひとり生きる幼き「異人」の物語。

 著者がデビュー以来書き続けている≪HISTORIA≫シリーズの一作にあたるというこの作品は、西欧的な価値観からは「野蛮」と断ぜられるであろう人々の生活を、一見すると現代人のような価値観をもつ「異人」の少年の目線から描き出す。「セカイ、蛮族、ぼく」のオマージュなのか?とか思ったのですが、著者のブログによるとどうやら違うっぽいです。

王城夕紀「ノット・ワンダフル・ワールズ」

 選択の可能性が広まれば広まるほど、ベターな途を選ぶことの困難は増してゆく。だから選択の困難や負荷は増してゆく。おそらくかつての世界では考えられなかったほどには、現代は選択の可能性に開かれているように思える。しかしそれが果てしなく広まったなら、その負荷に人類は耐えられるのか?耐えられなくなったならば、なんらかの手段で選択をファシリテートし、その負荷は軽減されなければならないだろう。そんな世界で、人々は生きることになるのかもしれない。「ノット・ワンダフル・ワールズ」はそういう世界のお話。

  時に登場人物の口を借りて、時に語り手によって伊藤の遺したことばを縦横に引用するこの作品は、復讐者の孤独な潜入を通して、人間社会の「調和」=ハーモニーの一つの在りようを示す。伊藤の偉業を「茶化す」という戦略を取っているとあとがきで著者は謙遜しているけれど、はっきりと『ハーモニー』の乗り越えを意図しているように思われる。「調和」の概念はひっくり返され、「進化」がそれと対決するという構図。

 無数に散りばめられたオマージュにニヤリとし、黒幕の様相が次々変わっていくクライマックスは大変楽しかった。

 

伴名練「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」

 ヴィクトリア朝時代のイギリス。ある死刑囚が年若い教誨士に語るのは、魂の存在証明を賭けた自身の長い旅路。もうひとつの『屍者の帝国』というべき一篇。伊藤のそれとは違う歴史上の人物に化身した「ザ・ワン」、まったく違う役回りを与えられた名探偵の助手、そして19世紀のブリテン島に顕現する「屍者の帝国」。不確かな存在たる魂。それでもその存在に拘り抜くことを選んだ男。彼に虚無から送られるラブコール。

 その構図がひたすらエモいし、異形のものたちが跋扈する大英帝国で、サムライと殺人鬼が大立ち回りを演じるあたりの楽しさ半端ない。

 

長谷敏司「怠惰の大罪」

 あの革命が失敗に終わったキューバは、麻薬カルテルがのさばる島になっていた。麻薬によって人々に怠惰を積み上げさせ、その山を登りつめた、「最後の麻薬王」の伝説。

 長編の第1章だというこの一篇は、犯罪小説にして青春小説、『シティ・オブ・ゴッド』であり『ゴッドファーザー』。高度な技術で麻薬戦争を生き残ろうとした主人公は、その技術によって、自身が巨大なゲームの駒の一つにすぎないことを理解してしまう。しかしそれはこのセクションでは未だ後景にとどまっているような気がし、最終的にはあらゆるものを捨て去ることで強さ、鋭さを研ぎ澄ましていった男が、ある決定的なものを捨て去る場面、青春の終わりと言い換えてもいいだろう場面をクライマックスに置く。

 長編の一部分という以上に、見事に幕を閉じたとしか思えないこの物語の続きに、どんなサーガが語られることになるのか。それは僕には想像もつかないし、だからこそ読んでみたい、と強く思いました。

 

トリビュート全体を通して

 「テクノロジーが人間をどう変えていくか」。それがたった一つの共通したテーマである、というふうにまえがきにある通り、題材も舞台も伊藤の作品への関わりの濃淡も様々な作品が収められていて、なんというか大変読みごたえがあったというか。それぞれが平均100ページという結構なボリュームだったのもあると思いますが。

 伊藤氏へのトリビュート、となると印象深かったのは伴名練「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」と王城夕紀「ノット・ワンダフル・ワールズ」。積極的にオマージュを差し挟みつつ、主題は伊藤の先へ、という感じが強く感じられて面白かったです。

 一篇の小説としてみるならば、藤井太洋「公正的戦闘規範」と長谷敏司「怠惰の大罪」がとりわけお気に入りですね。中国とキューバという舞台設定に惹かれるところ大だったわけですが、それ抜きにしても結末が痺れる感じで。

 伊藤氏の作品読み直したみが高まってきました。映画公開前には読み直していたいですね。

 

蘇る伊藤計劃

蘇る伊藤計劃

 

 

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