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学術書の古典を読む意味とは―アンリ・ピレンヌを読んで考えたこと

 歴史学において、半世紀以上も前に出版された研究書を読む意味はあるのだろうか。哲学なんかは、いまだに2000年以上前を生きたプラトンの著作なんかが普通に読まれているように思うし、社会学なんかでもデュルケムやヴェーバーなんかの著作が「読むべき古典」として取り上げられる。しかし歴史学では事情は異なる。50年以上の時を経てなお参照される歴史学の研究は、もちろんある。ただそれを読む意味は、哲学や社会学ほど自明ではない*1、と「僕は」思っている。

 それの理由は、歴史学の営為の多くが、先達の研究を批判的に継承していく形で進められること、対象とする時代、地域の特殊性を重視するために、「歴史学を学ぶ人間ならば必ず読まなければならない古典」というのが(多分)ほとんど存在しえないことなどがあるんじゃないかと思う*2

 それでも、きっと「古典」を読む意味はあるはずである。アンリ・ピレンヌを通して、それを考えてみたい。

 

 なぜ、いまピレンヌなのか?*3

 ここ3か月くらい、6回ほどアンリ・ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生』(原題を直訳すると『マホメットシャルルマーニュ』) を取り上げて読書会をやっていた。ピレンヌはベルギーの歴史家で、1862年生まれ1935年没。ピレンヌの業績は、いわゆる「ピレンヌ・テーゼ」と呼ばれ、高校世界史の教材にも取り上げられている。マホメットなくしてシャルルマーニュなし」、というキャッチーなフレーズは印象的なので、歴史学を学んでいなくともご存じの方も少なくないのではと思う。いわば歴史学界の超有名人のひとりだといえよう。

 そんなピレンヌだが、恥ずかしながら僕は今まで読んだことがなかった。名前と「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」というフレーズぐらいは知っていたけど、対象も専門から大きく外れてるので読もうとは思ってもいなかったわけだ。では、なぜいまさらピレンヌなんて読むことになったのか。それは、後輩から「ピレンヌを読まないか」と誘われたからだ。僕はその誘いに、先輩風を吹かせて読んでやるかと二つ返事でOKした。これが僕がピレンヌの『ヨーロッパ世界の誕生』を読むことになったきっかけというわけだ。

マホメットなくしてシャルルマーニュなし」とは、いったいどういうことなのか?

ヨーロッパ世界の誕生 (名著翻訳叢書)

ヨーロッパ世界の誕生 (名著翻訳叢書)

 

  『ヨーロッパ世界の誕生』で提示される歴史観を、ざっくばらんに説明しよう。ピレンヌ以前の歴史学界の通説では、ゲルマン民族の侵入こそが、古代と中世を分かつ一つの画期とされていた。しかし、ピレンヌはゲルマン民族の侵入はそれほど地中海世界、西欧世界を変質させなかったとする。その後のイスラムの侵入こそ、ヨーロッパ世界を決定的に変質させ、中世世界の端緒を開いた、というのがピレンヌの提示した命題である。

 ヨーロッパ世界が変質した要因を、ピレンヌは地中海貿易の衰退を挙げている。地中海にイスラム勢力が進出したことで、地中海の貿易は決定的に衰微し、ローマ=カトリックフランク王国に接近する動機を創り、フランク王国シャルルマーニュカトリックと結託したことで中世的な世界が誕生したのである。

 

 以上、ピレンヌの論旨は非常に明快で、古代、中世を対象としているのにも関わらず豊富な史料に裏付けられており、その議論はかなり説得的である。しかし、問題はその「古さ」にある。『ヨーロッパ世界の誕生』が書かれたのは1935年。それから80年近く時がたち、ピレンヌ・テーゼはいまどのように扱われているのか。ここで大きな問題が浮上した。現在に至るまでピレンヌ・テーゼに対する批判がどのようになされてきたか、よくわからなかったのである。

ピレンヌは今読まれているのか?

 ピレンヌは今、読まれているのか。その問いに答えるのは簡単だ。読まれていない*4。いや、それほど読まれてこなかったというべきか。それはCiNiiでピレンヌと検索すればわかる

 西洋中世史研究入門でも、ピレンヌに関する記述はあんまりない。ピレンヌ・テーゼのその後が、全然わからんのである。これは、歴史学において古典を読む際のオーソドックスな読みが出来ないことを意味する*5

歴史学における「古典」の読み方*6

 僕の身内でいわゆる「古典」的な著作を読む際のオーソドックスな読み方。それは古典に対する批判を踏まえて、我々にとって活かせる部分、現代的な意義を考える、というものである。例えば、紋切り型の言い方をすれば戦後歴史学の代表的な成果として今でも参照される石母田正『中世的世界の形成』なんかを取り扱ったときは、石母田批判を踏まえた読解をしていったそうだ*7

 

中世的世界の形成 (岩波文庫)

中世的世界の形成 (岩波文庫)

 

  石母田の著作なんかは日本を対象にしているから、当然日本の歴史学者からの批判が多く寄せられただろうし、それらを見つけるのも容易い。

  だがピレンヌはベルギーの歴史家である。おそらくヨーロッパの史学界では喧々諤々の議論を巻き起こしたろうが、それが日本語で(多分)読めない。だから、自分で読んでいても、「古典」なのに、「へー、そうなんだ」と鵜呑みにしてしまいがちであった。僕の専門家ら大きく外れた時代だったこともそれに拍車をかけた。

僕がピレンヌを読んだ意味

 そんな感じでピレンヌと向き合ったわけだが、その意味はどこにあったのか。力量不足で批判的な読みができなかったので、歴史学的に活かせるとか、そういう点でははなはだ厳しいものがある。しかしそれでも、歴史家ピレンヌの「スタイル」を体感できたことには、大きな意味があったのではないかとも思っている。

 「スタイル」というのは、文体や構成などを含む文章全体をここでは指す。ピレンヌの文章は簡潔でわかりやすく、また構成も、門外漢がすらすら読めるくらいわかりやすい。そしてなにより論旨が明快で、それゆえそれぞれの個別事象の意味がはっきりと浮かび上がってくる。こういう叙述の姿勢には今なお見るべきところがあるのではないか。その「スタイル」こそが、古典を古典たらしめているんじゃかいかなとも、ぼんやり思う。

こんなことぐらいしか、今は得られなかった。それは反省するべきことではある。

 「古典」を読む意味は、こんなところに見出した次第。とりあえず思うところをつれづれなるままに書き綴ったのでここで文章を締めよう。

 

 

史学概論

史学概論

 

 

 

*1:もちろんデュルケムやヴェーバーを読む意味も自明ではないとは思うが…

*2:遅塚忠躬『史学概論』なんかがその位置を占めるようになるかもしれない。

*3:あるいは僕がなぜピレンヌを読む羽目になったか

*4:管見の限りでは

*5:もしピレンヌ・テーゼに対する批判などを簡潔に紹介している本や論文などありましたらご教授ください。これとかそれっぽいけど、まだよんでません。

*6:我流。あくまで読み方のひとつ

*7:僕は参加してないので伝聞