宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

「大震災」から「大戦争」へ―中野敏男『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』に関するメモ

詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」 (NHKブックス No.1191)

今だからこそ、「戦後的なるもの」を問い直す―中野敏男『大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任』に関するメモ - 宇宙、日本、練馬

  先日の『大塚久雄丸山眞男』のメモに引き続き、必要半分趣味半分シリーズ。中野敏男『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』を読んだので適当にメモっておこうと思います。

 「大震災」から「大戦争」へ―かつての日本のたどった「道」

 この本が出版されたのは、2012年。震災の記憶も生々しいその時点から、著者はかつての関東大震災の経験を想起する。関東大震災後に日本が歩んだ道は、帝都東京の復興のという単純なサクセスストーリーではなかった。 「「帝都復興」なる成功物語で終わったわけでは決してなく、むしろ真っ直ぐに大戦争への道を歩んでいるという事実」*1にこそ、着目するべきだと著者は指摘する。「大震災」から「大戦争」へ。昨日テレビで放映された『風立ちぬ』も、ピンポイントにその道程を描いているなーと、ふと思ったり。それはさておき本書はその歴史を、民衆の「心情」に着目して描きだしている。

 その心情をさぐる手がかりとなるのが、歌謡曲や民謡などといった、いわゆる「詩歌」である。具体的には北原白秋を中心とする詩歌を提供した側と、それを受容した民衆。白秋をめぐる思想史と、民衆を描く社会史の二つの軸によって、総力戦へと向かっていった「民衆の心情」が分析される。このメモは白秋をめぐる思想史を中心に。

 

北原白秋と、「本質」としての「郷愁」

 本書で大きく取り上げられる北原白秋については、特に僕が説明するようなこともないと思うんですが、雑誌『赤い鳥』に童謡などを発表して大衆的な詩人として活躍したのち、やがては国粋主義国民主義的なナショナリストへと旋回していった、という感じの理解がされているような気がします。本書の思想史の目的のひとつは、おそらく、そうした「子供向けに童謡をつくる白秋」と「ナショナリストとしての白秋」が見事に連続していることを示す、というのがあるんじゃないかと思います。

 

 白秋が受けた音楽教育は、いわば「上からの押し付け」的な音楽教育だった。「蛍の光」や「仰げば尊し」など、かつて黎明期の音楽教育において歌われ、今日でもよく知られる曲は海外から輸入されたものであるわけですが、それではいかんだろうと文部省は国産の唱歌を作ろうと試みるわけです。

 その代表例が「故郷」や「我は海の子」。


童謡 - ふるさと - YouTube

 未だに歌い継がれるわりには歌詞は古めかしく、いかにも「理想化された故郷」という感じの「故郷」ですが、当時の小学生にもなかなかぴんとこない感じだったらしいです*2。いわばお仕着せの郷愁。

 

 このような文部省の押し付けに対抗する形で、北原白秋はいわば下からの自発性、「童心」を押し出していく。この童心は、「日本人ならばだれしも持っている本質」的なものとして構想される。「郷愁」は、上からの押し付けによって理解するものではなく、おのずから備わっている感情へと転換する。このような過程で、「郷愁」は「本質」となり、「下から自発的に」練り上げられた「郷愁」は、日本人であることを自明の前提とし、それ以外の他者を消去し見えなくしていった、と著者は指摘する。こうした他者の消去が、関東大震災の折には朝鮮人の虐殺として発露し、植民地主義の暴力とも密接に関わっているであろことは言うまでもない。

 「下からの自発性」というポジティブに語られがちなファクターが、いかに暴力的にはたらきうる可能性を秘めているのか。そうしたものを無批判に称揚することの危険性を問うているという点で、本書は明確に『大塚久雄丸山眞男』の延長線上にあるように思われる。

自由にしても自治にしても個性にしても自発性にしても、「戦後民主主義」において初めて大切にされるようになったと考えられてきたいくつもの価値が、実は震災から戦争へ向かって組織された日本の総力戦体制の中にすでに組み込まれていて、むしろそれを支える重要な要素にすらなっていたことが分かります。*3

 

 そして再び「大震災」を経過したいま、私たちが向かっているのは、「大戦争」への道なのか。そうではない、とはっきり言える土台は、未だ築かれていないように思える。沖縄の米軍基地の過重負担や、原発事故といった大問題を前に、我々はどこへ向かうべきなのか、そう問いかけて本書は締めくくられる。

そんな時だからこそ、かつては戦争に向かってしまった痛切な歴史を見直し、そこに堆積した民衆の文化経験に学ぶ営みがやはり大切なことなのだとあらためて思います。そのように歴史とその責任をしっかり見極めつつ、いまこのときに清算すべきはきちんと清算して、そこから新しい生活と文化を創り出していくことが、わたしたちにできるでしょうか。そこでは、いったいどんな詩や歌が求められ、生まれるでしょうか。*4

 

 『風立ちぬ』を同時代的な不吉な予言としてでなく、すでに相対化されたひとつの歴史の悲劇として観ることのできる、そんな社会になったらいいなって。

 

 

 

 

北原白秋詩集 (新潮文庫)

北原白秋詩集 (新潮文庫)

 

 

*1:本書10頁。

*2:本書45頁。

*3:p280

*4:p288