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破滅を欲望するものども――『パシフィック・リム: アップライジング』感想

映画 パシフィック・リム アップライジング ポスター 42x30cm Pacific Rim Uprising 2018 パシフィックリム ジョン・ボイエガ スコット・イーストウッド ジン・ティエン カイリー・スパイニー KAIJU

 『パシフィック・リム: アップライジング』を字幕版でみました。以下感想。

  怪獣との決戦が終結して10年。人類は平和を謳歌し、もはや対怪獣用人型決戦兵器イェーガーは、その歴史的役目を終えたかにおもえた。しかし、その残骸を糧に富を得ようとするもの、あるいは強迫的に怪獣に備えようとするもの、あるいは既に実戦から遠く離れた軍人たち、そうしたものどもは未だにその巨人に魅入られる。無人機の配備をきっかけに、いよいよ人はイェーガーと決別するかに思われたが、謎のイェーガーと陰謀の影が、ふたたび人と巨人を結びつけるのであった。

 『パシフィック・リム』の続編。監督や主演俳優陣ががらっと変更された本作は、前作の大いなる魅力をブラッシュアップしつつ、なおかつ続編というポジションを極めて自覚的に作中に取り込んだ作品ではなかったかと思う。

 前作でジプシー・デンジャーは大いなるハンデを背負っていた。それは、(物語ないし設定の都合ではまったくなく、おそらくは制作上の都合によって)陽の光の下で戦うことができない、というハンデである。そのハンデを負ってなお、イェーガーのどっしりとした所作は十二分に魅力的なものとしてカメラに切り取られていたわけだが、『アップライジング』ではそれが見事に克服され、イェーガーが白昼堂々その巨躯を存分に躍動させる。ジプシー・デンジャーの後継機的な趣のある主役機・ジプシー・アヴェンジャーがはじめて戦う場面がシドニーというのも、前作で唯一の白昼での戦闘の舞台となったのがシドニーであったことを思い起こせば、『アップライジング』の核に『パシフィック・リム』の遺産の継承があることは明白だろう。

 そうした巨大ロボットアクションの魅力がブラッシュアップされたのとは対照的に、キャラクターとしてのイェーガーの魅力はいまいち振るわなかったように思う。前作のほとんど出番がないかませ犬的扱いにもかかわらず強烈な印象を残したチェルノ・アルファ、クリムゾン・タイフーンのようなキャラ立ちは、本作の新イェーガーには欠けているように感じられた。それはイェーガーパイロットたちにしても同様。しかし、そのことが本作に奇妙な批評性を宿しているともいえる。

 ジプシー・アヴェンジャーを駆る二人のパイロットを演じる俳優には、奇妙な共通点がある。それは、その存在自体が別の強烈な存在を否応なしに想起させてしまう、ということ。ジョン・ボイエガには、いまや『スター・ウォーズ』という神話の強烈な磁場がまとわりついているし、スコット・イーストウッドの影に隠しようもなくある偉大な俳優ないし監督の存在はいうまでもないだろう。そうした巨大な物語のあとに、彼らはいやおうなしに存在する。

 それはまたこの『アップライジング』も同様で、直接的には前作が、間接的には数々の怪獣映画やロボットアニメが、その成り立ちを支えていて、それ抜きに自立しえないとさえいえる。それでも彼らが、あるいはこの映画が戦わねばならない理由がある。それは、怪獣を愛する大馬鹿者――彼が私たちの似姿であることはあまりに明白である――が、怪獣を、都市の破滅を、世界の危機を欲望するからだ。それによって駆動するのは、映画の世界においては怪獣であり、現実世界には絶えることなく神話を生産する機構としての資本主義である。

 もはや物語が終わってしまったあとに、あまりに偉大な物語のあとに、彼らは戦う。その運命が、彼らを自立した個ではなく記号的な駒へと接近させる。その悲哀が、この映画のキャラクターたちに漂っている。

 

 

  というわけで感触というか背負うものは『最後のジェダイ』と似通っているのでは、とちょっと思ったりしています。

amberfeb.hatenablog.com

 

 

パシフィック・リム アップライジング

パシフィック・リム アップライジング

 

 

【作品情報】

‣2018年/アメリカ

‣監督:スティーヴン・S・デナイト

‣脚本:エミリー・カーマイケル、キラ・スナイダー、T・S・ノーリン、スティーヴン・S・デナイト

‣出演