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鮮烈なる神々――アニメ『Fate/Apocrypha』感想

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 いまさら『Fate/Apocrypha』を視聴したので感想書いときます。1クール目はリアルタイムで視聴していたので記憶はだいぶ薄れていますが…。

  ルーマニア。かの地で歴史の影法師たる英霊どもが、血で血を洗う抗争を開始する。人間どもの抱く願いをかなえる、そのために。

 『Fate/stay night』のスピンアウト小説のアニメ化。『stay night』では7騎の英霊=サーヴァントのバトルロイヤルが描かれたが、外典たるこの『Apocrypha』では7騎×2チームのチームにまでギミックを拡大させ、日本から離れたのをいいことに、ユーラシアの大地で英霊どもが大暴れ。歴史に名を刻んだ英霊たちの戦いは野を無辺の荒野へと変え、天には空中庭園が浮かびジェット機群がそこにぶっこむ。この荒唐無稽具合は、『Fate』という原作のもつ可能性のひとつを見事に開拓したものだと思う。

 『stay night』がノベルゲームという媒体で語られたがゆえに、ひとつのルートでは大胆にいろいろなものをそぎ落としていたわけだが、ゲームという環境から離れた場所で語られたこの『Apocrypha』には当然ひとつのルートしかありえず、そのなかで多くの英霊の挿話が語られるので、原作より群像劇的な趣が強まっている。

 さて、その『Apocrypha』はどのような物語を語ったのかといえば、それは作中で何度も語られたように、「人が願いを叶える物語」だったのだろう。『Fate』関連作品群、あるいはTYPE-MOONの作品群の特徴として、物語が語っていることをメタ的に作中で総括してしまう、ということがあるのではないか、と思う。たとえばアニメ版UMVのエピローグの饒舌さを想起せよ。そのことは、私たちによる作品についての語りが、そのことを追認する退屈な作業に堕してしまいがち、という弊害を生んでいる、とも思う。だから、ここでは「人が願いを叶える物語」については多くを語る必要などないだろう。

 ただ、その物語を語るために、神のごとき歴史の英雄が必要だったのであり、アニメ版では人と対する神々の鮮烈さを強調するような語りが選ばれていたように思う。そう、22話「再会と別離」である。古代インドの叙事詩マハーバーラタ』に登場する英雄カルナと、『ニーベルンゲンの歌』に謳われた竜殺し・ジークフリート。そしてギリシャ神話の英雄アキレウスとアタランテ。最終決戦の中盤を飾るこの挿話で、英雄どもの荒唐無稽なパワーは臨界に達する。とりわけ画面総てをおのれの炎で焼き尽くさんとするカルナの迫力は、これまで『Fate』シリーズのアニメーションで描かれてきた度の英霊をも凌駕するものだった。

 その最強の英雄、あからさまに神々の残滓を宿すカルナと対峙するのは、竜殺しの英雄ジークフリートの力を借りたホムンクルスという人工物。ジークフリートの力はあからさまに(人と神との対立軸を設定するならば)神の領域に近いものだが、それが委ねられたのは、人の似姿として人によって創造された存在。彼は神話の英雄の力を二重に借り受けて神のごとき英雄を退け、この挿話を最後に、神話の英雄どもの存在感は一気に後退して人間の物語へとシフトする。

 これが「人が願いを叶える物語」だとするならば、それは神々を退けるという仕方で語られねばならず、その大いなる一歩がこうして見事に、その重みを画面に刻み付けたという意味でこの挿話の意義は途轍もなく大きい。神は去っても神話はふたたび語られる。朝陽に飛び去る竜の背に作家がそれをみたように。

 

 

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【作品情報】

‣2017年

‣監督:浅井義之

‣原作:東出祐一郎 / TYPE-MOON

‣シリーズ構成・脚本:東出祐一郎

‣キャラクターデザイン:山田有慶

美術監督:井上一宏

‣音楽:横山克

‣アニメーション制作: A-1 Pictures