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悠然とした大仕事――『運び屋』感想

【映画パンフレット】運び屋 監督 クリント・イーストウッド キャスト クリント・イーストウッド

 『運び屋』をみました。以下感想。

 クリント・イーストウッドの最新作は、またもや事実に着想を得た物語であり、そして『グラントリノ』以来の監督兼主演をつとめる。ただ、この『運び屋』のイーストウッドが演じる男は、『グラントリノ』とは一線を画している。『グラントリノ』では、あからさまにイデアルな「アメリカの男」とでもよぶべきイメージを背負っていたが、この『運び屋』のイーストウッドは、等身大の老いた男、チャーミングで勝手気まま、自身の人生の選択に後悔をかかえつつ、かつての過ちを贖う機会をもてずにいる、ヒーローでも象徴でもない男のようにみえる。

 このクリント・イーストウッドという監督は、老人のどのような所作や振る舞いが、他者に滑稽に/あるいはチャーミングに映るのか、ということを知悉していて、彼自身がまさにそれを生きているところの老いを、こうまでして客体化しスクリーンに写し取れるのか、ということに驚く。老いの扱いは、かつてナンシー関が指摘した「森繁ギャグ」の域に達しているように思う。

 『グラントリノ』以降、イーストウッドが実話を題材にしたフィルモグラフィを積み重ねてきたのは、ヒーローでも、あるいは暗喩的な象徴でもない、一人の個人に、自身の姿を仮託する、その仕方を探すためだったのかもしれない。『パリ行き』の列車に乗った若者たちはヒーローではなく愛すべき若者だったのであり、まさにただの個人が輝く瞬間を切り取られたスケッチであった。こうして『運び屋』に至って、クリント・イーストウッドアメリカという大文字から解き放たれた一個の生を生きなおしたのであり、それは悠々と自然体でドライブしつつ、とんでもない大仕事をやってのけることでもあった。この90歳の運び屋という、あまりに悠然と旅してみせた男のように、老いた監督はこの後も恐るべき新作を準備しているのかもしれないのであって、このおそるべき老人の前に、我々はたぶんただおののくのである。