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微かに届くピアノの音色——『Mank/マンク』感想


MANK | Official Teaser | Netflix

 『Mank/マンク』をみました。この作品を劇場で見られたこと、それは端的にいって非常に幸福な経験でありました。以下、感想。

  1940年、アメリカ合衆国。若き鬼才、オーソン・ウェルズがハリウッドに殴り込みをかけるため、新作映画の制作に取り掛かろうとしていた。彼が脚本に招聘したのは、ハーマン・ジャコブ・マンキーウィッツ、通称マンク。その奇矯なふるまいから愛され憎まれた男が映画の題材に選んだのは、絶頂を極めた新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハースト。あからさまに彼をモデルにとった、成功と破局の物語は、果たしていかなるかたちで世に出ることになるのか。

 映画史にその名を刻む傑作、『市民ケーン』の脚本家のドラマを、デヴィッド・フィンチャーが映画化。その父ジャック・フィンチャーの脚本を利用したというこの作品は、もう冒頭のクレジットから、あからさまに擬古風な装いを我々に晒す。音響も(おそらく)あえて古めかしい処理がなされていると推察され、モノクロの画面とあいまって、クラシックな映画としての佇まいを演出している。同じく近年のモノクロ大作である『ROMA』も、これほどわざとらしいクラシック感はなかったという気がする。

 このクラシックな雰囲気の演出に資しているのは、なんといってもマリオン・デイヴィスを演じるアマンダ・セイフライドだろう。彼女のまとうきらびやかな明るさは、まさにクラシック映画のヒロインの風格がある。

 とはいえ、この映画は、そうした懐古趣味にとどまらず、非常にアクチュアルであり、かつ普遍性をも持った主題を取り扱ってもいる。それがこの映画をまさに今撮られるべき映画・あるいは末永く顧みられるだろう映画にしていて、そうした映画を劇場で見ることができることに勝る幸運もなかろう。

 その主題といえば、それは現実とフィクションとの緊張関係であり、また政治的なるものと我々自身との取り結ぶ関係でもある。ある政治的主張に、虚構を奉仕させること——それは失業者に職を与えるかもしれないし、不遇な作家にチャンスを与えるかもしれない——の空虚と残酷。しかし同時に、この現代世界で、あらゆる作家は経済的な後ろ盾がなければピアノを弾くことのかなわぬ猿に過ぎないという現実。

 しかしそれでもなお、何か光り輝くものが宿るとすれば、それはピアノの音色の中でしかありえないのであり、その音色だけが、この複雑怪奇なシステムの檻を抜け出し、確かに我々に届きうるのだと、この映画は語る。そのことを証立てるゲイリー・オールドマンの笑顔に、我々はほんの少し安堵してもよいのだろうと、と思う。

 

 

 一度みただけではこの作品の綾を拾い切れているとは到底思えないのがはがゆいところですが、とにかくよかったです。