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あの海辺で旅立ちを——『Arc アーク』感想

映画『Arc アーク』サウンドトラック

 『Arc アーク』をみました。お見事でした。以下、感想。

  死体にプラスティックを流し込んで処理し、生前の姿をそのままに彫像のごとく保存する技術、プラスティネーション。それを手掛ける企業の技術者に見出された少女は、生きた人間をそのままの姿で生きながらえさせる術——すなわち不老不死の術をめぐる、数奇な運命に巻き込まれてゆく。

 ケン・リュウによる短編「円弧(アーク)」を原作に、『愚行録』、『蜜蜂と遠雷』の石川慶が大きな脚色を加えて映画化。『蜜蜂と遠雷』における脚色が、文庫本2冊の長編からいかに贅肉を落として映画を立ち上げるか、という類のものだったとすれば、『Arc アーク』においてはその逆、短編にいかにディテールを重ねて作品世界を立ち上げていくか、ということが課題になったはずである。そして『蜜蜂と遠雷』同様、脚色は見事に成功を収めている。

 原作を読む限りではある種の施術、手仕事という印象だったプラスティネーションは、この映画ではある種の舞踊のような所作で操り人形を駆動させるような仕掛けになていて、それが主人公が見出される理由の一端になっている。そのようばビジュアル面での工夫は随所にみられ、たとえば、後半部分では小豆島とおぼしき島が主要な舞台となるが、これはおそらく現在から遠く離れた未来社会をなるべく画面に写さないためにとられた方策ではないか。携帯電話も(おそらく)一回も画面に映らないし、書類に書かれた生年月日で西暦が一瞬うつるが、この映画のなかで大きな意味を持つのは主人公の年齢だけである。カメラの映す範囲を限定することで、時代感覚は希薄になり、現実と地続きのリアリティが持続してゆく。

 また、ビジュアル面では、後半、小豆島に舞台を移してからは白黒の画面でドラマが進行するのが大きな驚きだった。『ローマ』や『マンク』など、ここ数年はモノクロの映画をスクリーンでみる機会はあったが、邦画でここまで大胆な演出が許されるのだなと率直に意外の感を覚えた。このシークエンスで大きな役割を果たす小林薫風吹ジュンの、往年の名優めいたたたずまいは、序盤に超然とした雰囲気で圧倒的な存在感を放つ寺島しのぶとともに、映画全体を引き締めている

 このモノクロのシーンの継続が効いてくるのが、いうまでもなく作品の結部で、暗室の鮮烈な赤を経由して目の前に広がる世界に、ああ、この島はこれほどまでに美しかったのか、と驚く。この倍賞千恵子の登場する海岸の場面の強烈な解放感は、劇場でみてこそでしょう。

 原作において語り手の駆動因となる、ある種のアーティストとしての自意識は、この映画では後退していて、ほとんどオミットされているといっていいと思う。故に、最後の決断の意味は原作とこの映画とでまったく違う含意をもつといっていいだろう。映画版においてそれは明確に説明されるわけではないが、あの海辺の光景がアルファでありオメガだろう。その確信を与えるためにドラマをくみ上げた映画製作者の仕事に、わたくしは最大限の賛辞をおくりたい。

 

 

 

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