『最後の決闘裁判』をみました。今年みたなかでもトップクラスの快作でした。以下感想。
14世紀末、パリ。そこで、法に則った決闘が行われようとしていた。妻を強姦されたと訴える男と、そんな事実はないと否定する男。一方は勇猛な武人、一方は有能な官吏のごとき男。妻への強姦を訴えた男が敗北し、その偽証があらわになったなら、妻は火あぶりで死ぬことになる。三人の運命をかけた決闘の結末は。
歴史上の挿話に取材した、リドリー・スコット監督最新作は、決闘裁判にかかわる三人を視点人物とする三幕構成で、それぞれにとっての「真実」を順次提示していく構成。黒澤明の『羅生門』を想起させる。『羅生門』においてそれぞれの「真実」は特権化されず、それぞれが同等の重みで描かれたがゆえに我々にとっての「真実」は藪の中であったが、一方でこの『最後の決闘裁判』は明らかにそうではない。最後に語られる、ジョディ・カマー演じる妻、マルグリットによって語られる「真実」こそが、現代に生きる我々にとっては最も説得的な「真実」の描写であり、この映画でも明らかに強烈な重みを付与されている。
マルグリットは夫の不在のおりには領地を見事に切り盛りする女主人であり、その経営の合理性によって、我々現代人は彼女にある種の親近感をもつようになっているのは、彼女の視点の重みを強化するためだろう。とはいえ、マット・デイモンが演じるその夫、ジャン・ド・カルージュも、またアダム・ドライバーが演じるジャック・ル・グリも、それぞれグロテスクなかたちで現代性を託されてはいるのだが。
最初のパートで、勇猛果敢な武人で、領主の不興を買い不遇をかこつ男として表象されたジャン・ド・カルージュは、次のル・グリによる「真実」が映し出されるパートでは、勇猛というより無謀で、政治の機微をまったく解さない愚物としてあらわれる。一方、領主にこびへつらうおべっかつかいのくそ野郎と思われたル・グリは、別の視点からは有能な官吏で、かつ友人のジャンを何度も助けてきた情に篤い男のようにもみえてくる。画面に映る情報を巧みにコントロールして、こちらの感情を操作していく手際はすばらしく、それをさも簡単なことのようにさらりとやってのけるあたりに、リドリー・スコットの巨匠ぶりをみせつけられたような感覚。
そして、最後のマルグリットによる「真実」のパートで、男二人の確執が、(それが一人の女性をまさに当事者としているにもかかわらず)女を自身たちと同等の存在と一切みなすことのない「男の世界」で完結する、恐るべき傲慢さに満ちたものであることが暴かれる。クライマックスの決闘は、重装備で命をじりじり削りあう男二人の姿をソリッドに映し出していて非常に見ごたえがあるが、しかしそこに快さはほとんどない。不快で重苦しい暴力、勝利して命が救われてもなお、その勝利を十全に喜ぶことのできない決闘。この映画の画面はほとんど全編を通して淡い色あいで薄暗い印象を与えるが、それは単にヨーロッパ中世世界の暗さという以上に、このグロテスクな男の世界の暗さなのだろう。結部、花畑で子を見守るマルグリットが映される場面でかろうじて画面の明るさがあがるが、それはそこに勝利といっていいたった一つの証があるからだろう。
中世ヨーロッパを立ち上げた美しい美術は、それを映しているだけで快楽が生じそうなものだが、この映画はこの稠密な背景をあくまでドラマの背景として使い切る。おそらく巨大なコストをかけて作り上げたであろう中世世界を、ドラマに徹底して奉仕させるあたりの思い切りのよさもまさしく巨匠。中世を舞台にしつつもそれを現代の目で切り取ることにいささかも躊躇せず、同時にスリリングなエンターテインメントとして語ってみせたリドリー・スコットの剛腕に、わたくしは脱帽です。