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果てしなき狂気の穴―『渇き。』感想 

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 中島哲也監督『渇き。』をみた。役所広司演じる元刑事、藤島昭和が失踪した娘=加奈子(小松菜奈)を探す中で、娘の信じられない所業が明らかになる...とあらすじだけ聞くと、わりとありがちなミステリーもののような気がするが、ありがちなそれとは一線を画する映画だったように思う。以下で感想を。

 共感・理解を一切許さない登場人物たち

 役所広司演じる藤島は、おおよそ我々が考える「娘を探す父親」像と、欠片も重なるところのない男であるように思える。浮気する妻に激怒して凶行に及び、警察をやめざるを得なくなって、というところまではまだ共感の余地があるかもしれない。しかし、その後の身の持ち崩し方が半端ではないことは、印象的にカメラがとらえる部屋の様子からも明らかだ。態度の荒み方もまた半端じゃない。よくもこうまで不快感を喚起する演技をするものだと感心するレベル。役所広司の演技のふてぶてしさ。言葉づかいは汚らしいし面構えは悪人そのもの、精一杯よそ行きの小奇麗な服装をしようとしても、どうしようもなくあふれ出る品のなさ。

 「娘を探す父親」とくれば、見ているこちらは少しは共感できそうなものだが、こうまで徹底的に不快な人物造形をされると、そういう気が全く起こらなくなる。そして間違いなく、主人公であろう藤島がこのように造形されているのは、ラストシーンのために必然的。

 そして他の登場人物も、ある決定的な役割を果たす一人を除いては、観客の共感理解を一切許さない。いじめに遭っていたところを加奈子に救われた男子中学生(清水尋也)の心情の変化などは、ある時点までは容易に共感できるように思えるが、まさに加奈子によって、我々が共感理解不能な狂気に駆られたモンスターと化す。狂気の「穴に落ちていく」。

 加奈子に直接かかわった人間が、狂気の「穴に落ちていく」のはもちろん、そうでない人間も、登場人物はことごとく狂気をまとっている。妻夫木聡演じる刑事は常に薄気味悪い笑いを顔に張り付かせているし、オダギリ・ジョーが演じる刑事の常軌を逸した行動、身体能力は狂っていると表現するしかないだろう。加奈子を中心に、狂気の渦が渦巻いている。加奈子は狂気=魅力を振りまくことで、あらゆる人間を自らの重力圏に引きずり込む。その狂気には、不可避的にむき出しの暴力が伴う。そして加奈子自体は狂気の渦の中心にいるにもかかわらず、そのむき出しの暴力の犠牲になることはなかった。さながら台風の目のごとき暴力の真空状態。

 

狂気の穴に飲まれるしかないのか?

 とはいえ、狂気=暴力の渦の中心にいる加奈子もまた、暴力によってほうむられることになる。作中で現在進行形で巻き起こる騒動は、その中心を喪失した狂気=暴力の恐慌状態であるのかもしれない。狂気の中心、加奈子を倒したのはだれか。それは作中で唯一、正気を保っている人物であったと思う。加奈子の狂気=魅力に、徹底的な拒否反応を起こしたその人物の手にかかり、加奈子は死ぬ。

 とはいえ、その場面は本作のクライマックスではあるかもしれないが、結末、もしくは核心では決してない。そのあと、加奈子を殺害したことを藤島に知られることになったその人物は、藤島に囚われることになる。正気によって狂気を打倒しても、いや打倒してしまったからこそ、正気は狂気に囚われてしまう。まさに「果てしなき渇き」。正気など、狂気の前ではさしたる意味を持たないのかもしれない。

 狂気を徹底的に、そしてその魅力をも鮮烈に描いているという意味で、『渇き。』は「ヤバい」映画だと思うし、すごい映画だと思いました。

 

新装版 果てしなき渇き 上 (宝島社文庫)

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新装版 果てしなき渇き 下 (宝島社文庫)

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