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神々の時代から人の時代へ――『ワンダーウーマン』感想

「ワンダーウーマン」オリジナル・サウンドトラック

 『ワンダーウーマン』を2D字幕版でみたので感想。

  彼女のもとに写真が届く。かつてともに戦った懐かしき仲間と、まだ世界についてあまりにも知らな過ぎた自分が、何事かを成したときの写真が。おおよそ100年前。世界は終わろうとしていた。いまだかつて人類が経験したことのなかった総力戦。終わりなき戦禍に人々は疲弊していた。そんな闇の時代に、神の時代の残滓、最強無比の女戦士が現れる。その戦争を背後で突き動かす、戦争の神アレスを打倒するため、彼女はこの世の地獄へと向かう。

 第一次世界大戦を背景に、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』で颯爽登場したワンダーウーマン=ダイアナの始まりの戦いを描く。色彩に溢れたアマゾンの楽園を出た彼女を待ち受けるのは、暗い色調で画面に映し出される薄暗い近代世界、そしてその極限状況たる戦場。超人が現実上の戦場で兵士と共闘するシチュエーションはマーベル・シネマテッィク・ユニバースにおける『キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』を想起させるし、両者がなんとなくオーバーラップする場面もあったのだけれど、『バットマン vs スーパーマン』でみせた無法な強さは第一次世界大戦でも遺憾なく発揮されるわけで、それが期待通りに楽しい。

 塹壕を飛び出して一人敵陣に突っ込み、機銃掃射は盾で受け切り、戦車なんぞぶん投げて片づける。演出的には『バットマン vs スーパーマン』や『マン・オブ・スティール』では(記憶が確かなら)見られなかったスローモーションが印象的に使われていて、盾を利用して飛翔するアクションなんかも含めてザック・スナイダー監督の『300』リスペクトっぽい雰囲気。アマゾンの女戦士たちは近代的な武器はもちろん使わないわけですが、弓を使って近代的な装備の兵士と渡り合ったりするあたり、なんとなくスパルタ的な精神性が感じられるのではないでしょうか。中盤のクライマックスたる場面で高みにたつワンダーウーマンを兵士たちが見上げる構図は、『バットマン vs スーパーマン』におけるスーパーマンと相似形という感じだけれども、さながら民衆を導く自由の女神の如し。

 お話の方はというと、女だらけのアマゾンの楽園で育ったがゆえに近代世界の常識を知らないダイアナをめぐるコメディが随所で巻き起こるわけですが、コメディ以外の部分でもその非常識な認識によって物語が駆動し続けるのが結構しんどく感じもしました。神話という「お話」の世界でしか戦争を知らないがゆえに、人間は本来善良なので黒幕=軍神アレスを倒せば戦争は終わる、という誤った前提に基づく論理でダイアナが行動し、その認識がようやくアレス当人との邂逅で打破されるのは終盤も終盤で、それが結構ストレスでした。

 しかし、出自からアレスとの対決まで、『バットマン vs スーパーマン』を貫くモチーフだった「神殺し」がちがった仕方で反復されているような感触があり、そのようなモチーフのためにこそ、彼女の神話と現実との混同、神話世界を生きるかのごとく現実世界を生きようとする構えは必然だったのかも、とも思う。神殺しは成り、人間の時代が来りて、神を殺した神は人間のまえから姿を消す。それではスーパーマン以後の物語は、再び神の時代の物語となるのか、はたまた人の物語は続くのか、それとも第三の道が開けるのか。

 それはさておきとりとめのない話になりますが、ルーデンドルフ第一次世界大戦中に死んでるってことはDCEUにおけるドイツの歴史は我々の世界のそれとは結構異なっている可能性があるのではないかとか、もしかしてこの作品世界では創造説こそ正しい歴史なのかとか、諸々頭をよぎったんですがそれはまあそれとして、楽しかったです。ジャスティス・リーグも楽しみ。

 

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【作品情報】

‣2017年/アメリカ

‣監督:パティ・ジェンキンス

‣脚本:アラン・ハインバーグ

‣出演