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『攻殻機動隊 SAC_2045』シーズン1感想

sustain++;(ending ver.)~『攻殻機動隊 SAC_2045』エンディングテーマ~

 『攻殻機動隊 SAC_2045』をみました。「SAC」という看板に、あるいは神山健治という作家の固有名に引っ張られ、あまり素直な視聴ができなかったかもしれません。あるいは独善的な規範批評じみた言葉しかでてこないかもと恐れますが、ともかく感想を書いておきます。

  2045年。世界経済に大きな影響を与えたとされる「世界同時デフォルト」の後、国家間による持続可能な戦争=サスティナブル・ウォーが生起。我々の知る世界とは、大きく異なるロジックと技術が支配したかに思える未来。かつて日本国政府、公安9課として戦っていた草薙素子たちは、今は日本列島を離れ、傭兵じみた稼業で彼女らの生を謳歌していた。そんななか、アメリカ合衆国のきなくさい作戦に巻き込まれ、それと結びつく形で日本でも公安9課再起動が要請される。かくして、誰も知らない草薙素子たちの戦いが、再び始まる。

 草薙素子らの活躍を描く「攻殻機動隊」の最新作は、神山健治と荒牧伸志の両名を監督とし、3DCGのアニメとして制作された。タイトルの「SAC」は神山健治の監督デビュー作にして出世作である『Stand Alone Complex』を否応なしに想起させ、キャスト陣も――『ARISE』とは異なり――共通している。一方でキャラクターデザインには『バースデー・ワンダーランド』のイリヤ・クブシノブを迎え、草薙素子のデザインはキュートにリファインされ、『Stand Alone Complex』の面影は薄れている。

 だが、トグサを除く9課メンバーはおおむね『Stand Alone Complex』での彼らを想起させるデザインがなされていて、全体として「まったく新しい攻殻機動隊」という感じは薄い――この点『ARISE』とは大きく異なる。また前総理大臣として茅葺が示唆されたりするなど、『Stand Alone Complex』と地続きであることをにおわせもするが、9課は『Solid State Society』でのような、草薙素子というユニークな個に依存しないいわゆる普通の組織になったことはないようだし、タチコマの人格の連続性なんかを考えると、似て非なるパラレルな歴史を歩んで公安9課が解散した後の物語と考えるのがよさそうだ。それが『Stand Alone Complex』ではなくあえて『SAC』というタイトルが選ばれた理由でもあるのだろう。

 この「似て非なるパラレルワールドと考える」という3秒で誰もが到達しそうな考えに納得するまでに無駄な葛藤があり、僕の中で『Stand Alone Complex』がどれほど大きな位置を占めているかを実感させられることになったのですが、「似て非なる」というのは作品の方向性としてもそうであった、とシーズン1を視聴して改めて感じる。

 『Stand Alone Complex』制作時には、準備期間がとれたこともあって、過去の犯罪事件をモチーフに50本プロットを構想した、というようなことをユリイカだったかアニメスタイルだったかで神山監督自身が語っていたように思う。「笑い男事件」が「グリコ森永事件」や「三億円事件」、「薬害エイズ事件」など、昭和の事件を想起させるモチーフのコラージュであったことに象徴されるように、『Stand Alone Complex』は近未来的・SF的なガジェットを用いつつ、刑事もの、クライムサスペンス的な色合いが濃かった。情報化が進展を見ているが、あくまで我々の現在と地続きであるような近未来における刑事ドラマ。

 『SAC_2045』の視聴を始めた我々が真っ先に気付かされるのは、そうしたクライムサスペンス的なドラマはどうやら後退しているらしいぞ、ということである。冒頭、荒野を疾走する草薙素子。旧9課の面々と合流後、彼女・彼らの後方には、『マッドマックス2』的なモヒカンたち(モヒカンではない)が現れ、どうやらこの世界は現代世界の延長であった『Stand Alone Complex』よりは、『怒りのデス・ロード』に接近していそうである、と我々に教える。こうしてモヒカンたちと戦闘を繰り広げる旧9課の面々のアクションが序盤の見せ場になっている。

 予告公開時、インターネット上でかなりネガティブな評価にさらされた3DCGのキャラクターのルックは、本編をみてみるとそれほど悪くなく、髪の毛の質感の作り物っぽい違和感を除けば、アニメ的でこれはこれでありなんじゃないか、と感じた。神山・荒牧コンビの『ULTRAMAN』はキャラクターの挙動にやや違和感(やたらふらふらしている感じがし、大げさな挙措も目に付いた)があって視聴を中断してしまっているのだけど、『SAC_2045』でそうした目だった異物感というか、そういう感触はなかった。こうした質感のキャラクターを動かす実験としては、この作品はある程度の成功を収めていると感じる。

 さて、1話で展開された『マッドマックス』的ドンパチは、9課再結成のため草薙素子らが帰国するとやや後退し、食い詰め老人の銀行強盗をバトーが手助けする7話(これは挿話中のモチーフ的にも『Stand Alone Complex』を想起させた回だった)の後は、9課がアメリカにせっつかれるかたちで、「ポスト・ヒューマン」なる異能者をめぐるサスペンス的なストーリーが展開されてゆく。

 ネットリンチを想起させる犯罪に中学生が絡んでいて...というあたりの超中途半端なところでシーズン1は終わっていて、お話について今の段階でどうこう言える感じではないのだが、「世界同時デフォルト」やら「サスティナブル・ウォー」という出来事について、その出来事の内実やら影響やらがイマイチ判然とせず、日本列島は(ふつうに学校や社会が営まれているように思われる――いま・ここの我々とは違って!)ありきたりな近未来をやっているようにしかみえないなど、設定面にふんわりとした不安を感じるところがある。「世界同時デフォルト」はロサンゼルス郊外のマッドマックス化を促進しただけだったのか?もっとやばい状態になるのではないか?また「サスティナブル・ウォー」とはどういう事態なのか?たとえばかつて小島秀夫がMGS4で描いた、PMCが跋扈している近未来像との差分はどこらへんにあるのか?

 そして「ポスト・ヒューマン」なるキータームの生硬さ――「笑い男」(これはサリンジャーの引用だけどそれはそれ)や「個別の十一人」みたいなユニークな響きに欠ける感じも大きく気になる点である。『文豪ストレイドッグス』の「異能力」並みのごつごつした感じ。これは『Stand Alone Complex』との差分うんぬんでなく気になる。ポスト・ヒューマンをめぐる思弁が、たとえば『Ghost in the Shell』で押井守が展開したような、人形遣いをめぐるエピソードが草薙素子の実存的な問題と結びついて決着がつく展開が、シーズン2で展開されるのか、と考えたときに、どうにも期待薄である気もする。神山健治という作家の興味が「ポスト・ヒューマン」をどう料理するのか、という点に関心はあるので、そうした方向での洗練がなされればいいなと思う。

 

 それとイリヤ・クブシノブのデザインを活かすために配されたと推察される江崎プリンさんの、公安9課の面々と混じったときの浮きっぷりも心配になる。

『攻殻機動隊 SAC_2045』のキャラクターデザインに込めた愛とこだわり―— イリヤ・クブシノブ | 朝日新聞デジタル&M(アンド・エム)

 上のインタビューなんかみると、江崎さんのデザインにはイリヤ氏に相当の裁量があったと感じられて、キュートな女性を描かせたら彼女のデザインは強力だと感じるのでそれはわかるのだけど、お話のなかの扱いはいまのところうまくいってないと感じる。もうカワイイ系ポジションにはタチコマさんが配されてしまっているわけで...。

 それと日米関係の屈託のなさ(完全に顎で使われているようにしかみえず、作中人物はその構図になんの葛藤も感じていないように思える)は非常に気になるところ。「ジョン・スミス」なるネーミングセンスはちょっと安直すぎる。ワタナベ・タナカのなめくさった不気味さと対照的!

 というわけで、気になる点がとにかく目につきました。そんな感じです。

 

 

Fly with me

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攻殻機動隊 SAC_2045 O.S.T.

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攻殻機動隊 SAC_2045 公式ビジュアルブック

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