先日、『かぐや姫の物語』が、(延期はしたけれども)無事公開された。宮崎駿の引退宣言もあり、おそらく長年ジブリの顔だった二人の長編映画は、もう見られないだろうと思う。その意味で、多分2013年は、2人の巨匠の作品が最後に世に出た年として歴史に残るんじゃないかな。
宮崎駿と高畑勲、この両者が残した『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』、それぞれの監督の個性がむき出しとなり、全く違った映画になっていると思う。にもかかわらず、その伝えたいメッセージというのは、実はかなりの部分で重なっているのではないか。そんなことを、『かぐや姫の物語』を観終えた時から感じていたので、書き留めておこうと思う。
それでも「生きねば。」―『風立ちぬ』が伝えたかったこと
まず『風立ちぬ』から、そのメッセージとはなんなのかを見ていこう。パンフレットの中で、宮崎駿はこう語る。
―監督がこの作品を作って、届けたかったものとはなんでしょうか。
宮崎 それは僕にもわかりませんね。(後略)
『風立ちぬ』パンフレット、宮崎駿、庵野秀明、松任谷由実へのインタビューより抜粋
届けたかったものはなにか。その問いに対して、宮崎はかくもシンプルに答えている。おそらく、伝えたいことなど考える以前に、アニメを作るという作業に没頭していた、その必死さゆえの「わからない」という解答なのだろうか、などと推測はしてみるものの、本当のところはわからない。
つまり、『風立ちぬ』のメッセージとして宮崎駿が意図したものは、(本音かどうかはさておいて)本人にもわからない。つまり、我々観客が、そのメッセージを勝手に読みこむ余地が、かなりのところである、といえるのではないか。なので、以下であくまで「私が考える」『風立ちぬ』のメッセージを述べたい。
『風立ちぬ』の感想は今まで何度か書いたが、いまでも概ね同じことを思っている。
『風立ちぬ』はジブリの『ライトスタッフ』だ! - 宇宙、日本、練馬
『風立ちぬ』は、主人公堀越二郎が、挫折し、大切なものを失ってなお、前に進んでいく物語だ、と私は思う。才能を、人生を賭して作り上げた零戦は「一機も帰ってこなかった」し、最愛の人菜穂子は死んだ。才能を尽くして生きられる10年は終わり、目の前には焼け野原が広がるばかり。それでも、堀越は生きることを選ぶ。
この、全てを喪ってなお、いや、喪ったからこそ「生きねば」ならぬ。暗い時代を生きる我々に、伝えたいメッセージとしてこれ以上のものはないのではないか。
世界は美しい。力一杯生きる価値がある。―『かぐや姫の物語』
では、『かぐや姫の物語』のテーマとは何か。これも先日書いた記事と、考えていることは変わらない。
『かぐや姫の物語』 世界はかくも美しい - 宇宙、日本、練馬
『かぐや姫の物語』が我々に訴えかけてくるもの、それはなんといっても世界の美しさに他ならないだろう。超絶的に美麗な作画は、つまるところ世界の美しさを伝えるためだけにあるといっても過言ではない。
高畑勲は、『かぐや姫の物語』をどのような意図で企画したのか。それは、パンフレットにのった文章から読み取れる。
かぐや姫は、なぜ地上に降り立ったのか。原典である『竹取物語』において明らかにされていないその部分を、高畑は以下のように解釈する。
清浄な月で暮らしていた姫はあるとき、かつて地上で暮らした女性から、色彩に満ち、様々な生き物であふれる地上の話を聞く。話を聞いたことで女性の記憶を呼び覚ました罰として、姫は(月の民にとっては)穢れた地上に下ろされることになるが、姫自身は地上にあこがれていたのでむしろその罰をよろこんで受け入れる。その罪が償われるのは、姫が身の危険を感じてSOSを送ることで、姫は地上の穢れを理解したときであり、その時になって月から迎えが来るのだ。
この物語が我々に何を訴えかけるのか。高畑はこう語る。
もしこれが真相だったとすると、『竹取物語』には「隠された物語」が内包されているはずである。それを運良く探り当てることができれば、物語の基本の筋書きは変えることなく、また、そのときどきのかぐや姫の感情もそのままに、面白くてかなり今日的な物語を語ることができるのではないか。そしてかぐや姫の気持ちを、その悲劇を、より切実なものとして訴えることができるのではないか。それはとりもなおさず、地球に生を受けたにもかかわらず、その生を輝かすことができないでいる私たち自身の物語でもありうるのではないか。地球を体験した月の人であるかぐや姫が、命あふれる地球の豊かさや、私たち人間の愛憎、善良さと愚かしさを照らし出してくれないはずがない。
『かぐや姫の物語』パンフレット 「企画『かぐや姫の物語』」より抜粋 強調は引用者による
我々の生きる世界の美しさを描くことが、『かぐや姫の物語』のメッセージとして企画されていたことはもう明らかといえるだろう。
どうにもならない喪失を描きつつ、「それでも生きる」と決意を表明してみせた『風立ちぬ』、世界の美しさをこれでもかと見せ付け、世界は「生きる価値」があると強烈に訴えた『かぐや姫の物語』。それぞれ、世界に対するスタンスは違えど、「生きる」という強烈な意志を感じ取ることができると思う。
ヘミングウェイは書いた。「この世は素晴らしい。戦う価値がある。」『セブン』でモーガン・フリーマンは後半の部分には同意するといった。二人の巨匠はどうか。おそらく、前半に対しては異なる見解を述べるだろうが、後者には同意するんじゃないか。そんなことを考えた。