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傷を抱えて北にゆく――『寝ても覚めても』感想

寝ても覚めても: 増補新版 (河出文庫)

 『寝ても覚めても』をみました。とてもよかったです。以下感想。

 人は突然出会う。突然別れる。また別の人と出会う。偶然、かつて親しかった顔とふたたび出会うこともある。そして、それがまったく同じ顔をした、全くの別人であることも、あるのかもしれない。

 柴崎友香による同名原作を、『ハッピーアワー』の濱口竜介が映画化。濱口にとっては初の商業映画であり、『ハッピーアワー』の5時間という上映時間にびびった僕にとってもはじめてみる濱口作品でした。

 現代日本を舞台に、数奇な関係のなかにたゆたう男女を、極めて抑制したトーンで映し出す。抑制されている、というのは、それぞれの内心を明快に読み取ることを困難にさせる、ニュアンスにとんだ表情をみせる俳優たちの演技からも感じるところだし、2010年刊行の原作の舞台を、あえて現在に移し、しかし巨大な出来事をあくまで日常のなかの一部として用いる語りもそうした印象を与える。

 とりわけ後者の、最早歴史になりつつある巨大な出来事を、こうした仕方で語ってみせたということが、列島がいくつもの出来事で傷つき続けたこの2018年といういまと奇妙に共振していて、作り手の意図を超越したところで、極めてクリティカルな映画になっているという気がする。

 抑制されているとはいえ、画面のなかには出来事とその傷跡が確固として映し出される。日常という営みが積み重なり、いまという時間が流れても、ある種の出来事は世界に大きな傷跡を残し続ける。この日常のなかに確固として、あるいは容易には読み取れない仕方で残り続ける傷跡というモチーフは、この作品が切り取った人間と人間とのあいだで生まれる関係のなかに別の仕方で生きている。

 最早過ぎ去ってしまった過去の出来事なのだが、しかしいま・ここの私のなかに確かにある傷。社会的・物理的な傷跡である地震の爪痕が彼女と彼を北に導くとするなら、彼女のなかの不意の別離の記憶という傷もまた、彼女が別の彼と北へ向かうきっかけになってしまう。

 いつくもの傷が折りたたまれ、いまという場所に私は立つ。いまという場所は、川のようによどみなく流れる時間によって、いつのまにか遠い場所まで押し流されてゆく。流れゆく水の流れによって普段は見えなくとも、そこには無数の傷が澱のようにたゆたっている。そのような傷、忘却と追想とによって不意に私を襲うそうした傷を抱えて、私たちはただ何処かにむかって流れるのである。