宇宙、日本、練馬

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「おれのオンラインサロン入れ」は全て詐欺です(宇野常寛『遅いインターネット』のこと)

遅いインターネット (NewsPicks Book)

 「レターパックで現金送れ」が全て詐欺であるのと同様、「おれのオンラインサロン入れ」は全て詐欺です。

 わたくしは宇野常寛のことをまったく評価していないが、まさか詐欺師にまで身を落としているとは思わなんだ。Twitterでいくつか感想が流れてきて本書の存在を知り、半ばくさしてやろうという気持ちが読む前からあったのは事実だが、それをはるか上回るひどさ。

 かつて宇野は『母性のディストピア』の冒頭でこう書いていた。

「いまのこの国に本当の意味で語るに値する現実は一つも存在しない。この国の現実に想像力の必要な仕事は一つもない。/だからこの本では徹底して虚構について考える。」p.13

 わたくしはここで馬鹿らしくなって読むのをやめたが、『遅いインターネット』を読んでどうやら宇野はとっとと転向したらしいことがわかってくる。だって徹頭徹尾現実の話になってるから。

 それでこの本が救いがたいのは、我々が経験している「いま」の「新しさ」をことさらに言い立てていること。我々が日々直面する世界の「新しさ」って、少し落ち着いて考えてみればまったく新奇なものではないことがわかる、ということはしばしばある。書くことの効能はむしろ、その「新しさ」を過去の文脈に落とし込み、ある種の解毒を行うことではないかと思う。その作業を経てこそ、「新しさ」のうちでほんとうに新しい点はどこか、ということがわかってくると思うのだ。だが宇野はそうした作業を決定的に怠っている。「新しさ」を言い募るために、あえて物事を単純化し文脈を消去しているとさえ思う。

 たとえば、糸井重里を取り上げ、「ほぼ日刊イトイ新聞」が「モノ」の消費ではなく「コト」を用いた情報社会的なアプローチを行っていたが、同サイトはいまや「モノ」の売り買いの場になってしまった...とかいうとき、そもそも糸井が「モノ」を売るために言葉を張り付けるコピーライターであったことに立ち戻れは単なる先祖帰りともとれると思うし、そもそも「モノ」をめぐる記号のゲームがいまなお継続していることは、ボードリヤール『消費社会の神話と構造』の議論が念頭にあれば自明ではなくって?情報社会についての過大評価は佐藤俊樹『社会は情報化の夢を見る』で解毒したほうがいいと思うわ。一事が万事で、全体として議論の視野がせめえんだわ。

いまこの国のインターネットは、ワイドショー/Twitterのタイムラインの潮目で善悪を判断する無党派層(愚民)と、20世紀的なイデオロギーに回帰し、ときにヘイトスピーチフェイクニュースを拡散することで精神安定を図る左右の党派層(カルト)に二分されている。

 と嘆いてみせるが、本書は箕輪何某やら西野何某やら、オンラインサロンで信者から金を巻き上げるちんぴらどもへの共感を隠さない。連中は「ヘイトスピーチフェイクニュースを拡散することで精神安定を図る左右の党派層」ではないかもしれんが、わたくしの言葉遣いで表現するならそいつらも立派なカルトだ。

 あげく「遅いインターネット」はおれのオンラインサロンにあるってんだから、もう終わってると思います。冒頭からめちゃくちゃな怒りにかられたので、わたくしはこの本を一生懸命読んでません。わたくしはいまのインターネットがよいとは全く思わないが、オンラインサロンでグルーミングするのも同じくらい不毛だと思う。

 オンラインサロン、知らんけど大学のサークルみたいなもんだと思うんすね。でも大学のサークルは人の入れ替わりが必ずあるし、トップの人間に金を巻き上げられたりしない。そして大学のサークル活動はおおよそ(内輪の人間以外には)不毛で意味もない。それがダメなんじゃなくて、だからいいんだと思う。でもオンラインサロンの連中はそれが不毛で意味ないとは謳わない。集金システムが機能しなくなるから。だからオンラインサロンはカスなのだ。遅いインターネットのなかで無限に周回遅れになってりゃいいよ。知らんけど。でも21世紀にもなってパト2の台詞をどや顔で引用するのはやめたほうがいいと思う。マジで。