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あたらしい総力戦体制——大塚英志『「暮し」のファシズム 戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』感想

「暮し」のファシズム ――戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた (筑摩選書)

 大塚英志『「暮し」のファシズム』を読んだので感想。

  地獄の東京オリンピックの開催へと邁進する異様な雰囲気のなかであまりにも奇妙なことがおこり、「新しい生活様式」なる奇怪な語の流通をさして奇妙なものとも思わなくなったような気がする。そのように慣らされたタイミングで、本書が上梓されたのはよいことだろう。大塚は様々な事柄の「起源」的なものを戦時下に見出しているが、本書の問題意識もおおよそ同様だろう。

 本書で「新しい生活様式」と重ねられるのは、近衛文麿内閣による「新体制」下で推進された、「新生活運動」である。新型コロナウイルス対策として叫ばれる「自粛」と、戦時下で要請された「ぜいたくは敵だ」的な自粛。単に政府に唯々諾々と従うのではなく、むしろ内面の参与という契機を重要視し、下からの動きで「新しい生活」をつくるのだ、という発想。

 そのコーディネーターとして、戦後に『暮しの手帖』を創刊することになる花森安治などが参照され、「ていねいな暮らし」がいかに国策を下支えするものとして立ち現れうるか、ということが指摘される。そのほか、太宰治「女生徒」がいかにつくられたかを丹念に追ったり、また戦時下の漫画「翼賛一家」によって、新聞四コマのフォーマットとしての「家庭」と「町内」が形成された、というような話題があったり、章ごとの独立性は強い。

 ある意味で、本書は(というか大塚のこの種の仕事は、というほうが適切か)1990年代に大きな影響力をもった、山之内靖らの所謂総力戦体制論とやや重なるか、という気がする。総力戦というモーメントが社会システムの大きな変革を要請し、それが戦後も継続していったのであり、戦時下と戦後を断絶したものととらえるのではなくむしろその連続性を強調した山之内らの議論を、「暮し」という側面からのアプローチで補強したようにも思える。

総力戦体制 (ちくま学芸文庫)

総力戦体制 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:山之内 靖
  • 発売日: 2015/01/07
  • メディア: 文庫
 

  

 総力戦によって「内面の参与」が要請される、という点でいえば、(おそらく総力戦体制論の文脈上に位置付けられるであろう)中野敏男による『大塚久雄丸山眞男 動員、主体、戦争責任』とも重なる。中野は同書で「ボランティア動員型市民社会」が、まさに総力戦体制的な動員の力学の上になりたっていることを批判していたように思うが、本書で大塚が指摘しているのは、動員とまではいかないまでもぼんやり参画してしまっているというような緩い参与のやばさなのかもしれない。

大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任

大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任

  • 作者:中野敏男
  • 発売日: 2014/06/23
  • メディア: 単行本
 

 

 戦後民主主義者と自称する大塚は、「キャラクター小説」やマンガをめぐる実践のなかで、民主主義のアクターたる「私」を立ち上げる手段をつくろうとしてきた。本書の中では(記憶の限りでは)大塚は「戦後民主主義者」を自称していない。

 それは、本書のなかで、生活綴方のような「書くこと」の実践が、容易に体制への順応のモーメントとして機能しうることを指摘していることを思えばやや意味深長という気がして、戦後民主主義者として、大塚が重ねてきた「書くこと」を通じた「私」の立ち上げ、という(ポスト)近代のプロジェクトの意義と限界について、誰かが書かなきゃいけないんじゃないかなという気がちょっとする。