宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

2015年2月に読んだ本

 2月は前半はいろいろバタバタしたり、後半は『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』にど嵌りしたりと、あんまり読書には身が入らなかったという気がします。テンションの切り替えがうまくできないので、ゲームやっちゃうとそのあと本とか読めないんですよね。3月はけんきうを進めつつ読書もしていこうと思います、はい。

 先月のはこちら。

2015年1月に読んだ本 - 宇宙、日本、練馬

 印象に残った本

大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任

大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任

 

  一冊選ぶとしたら、中野敏男『大塚久雄丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任』ですかね。内容に関しては下記の記事を参照ください。

今だからこそ、「戦後的なるもの」を問い直す―中野敏男『大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任』に関するメモ - 宇宙、日本、練馬

  中野さんの問題意識が鮮明に表れているのは、多分東日本大震災から1年後に出版された『詩歌と戦争』にあるこの一文。

自由にしても自治にしても個性にしても自発性にしても、「戦後民主主義」において初めて大切にされるようになったと考えられてきたいくつもの価値が、実は震災から戦争へ向かって組織された日本の総力戦体制の中にすでに組み込まれていて、むしろそれを支える重要な要素にすらなっていたことが分かります。

 もっと、なんというかフレキシブルに主体というものを考えていく必要があるんじゃないか、なんて思ったりして、ドゥルーズ=ガタリにも全然わからんなりに手をだしてみたりもして。

ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス: 資本主義と分裂症』を読む - 宇宙、日本、練馬

 

 現代における人間のあり方について、これからもぼんやりと考えていったりいかなかったりしたいところです。

読んだ本のまとめ

2015年2月の読書メーター
読んだ本の数:16冊
読んだページ数:4815ページ

 

今こそルソーを読み直す (生活人新書 333)

今こそルソーを読み直す (生活人新書 333)

 

 ■今こそルソーを読み直す (生活人新書 333)

『人間不平等起源論』と『社会契約論』を大きな軸として、ルソーの思想を概説する。前者では理想化された自然が、後者では理想の社会像が描かれており、両者は弁別して考えなければならないというのが著者の読解の骨子であるように思われる。理想の自然の象徴が「野生人」で、理想の社会の担い手が「市民」。その一見矛盾している両者の折衷が目指されているのが『エミール』であり、現実にそれを達成しようとしたものがロベスピエールの恐怖政治や全体主義、というのはなるほどなという感じ。デリダの読解やアーレントの批判も整理されている。
読了日:2月1日 著者:仲正昌樹
http://bookmeter.com/cmt/44737375

 

ケネディ―「神話」と実像 (中公新書)

ケネディ―「神話」と実像 (中公新書)

 

 ■ケネディ―「神話」と実像 (中公新書)

 ケネディのオーソドックスな伝記。幼少期からの病との闘いや、兄との葛藤などのエピソードは全然知らなかったので驚いた。大統領期の記述の多くは外交問題、特に対ソ関連にあてられていて、この時期の政治のありようは冷戦構造に大きく規定されていたんだなーと改めて感じる。自由主義と反共産主義との親和性は、冷戦後の世界しか知らない自分にはなんとなく想像しにくいけれども。それとケネディ家のエリートっぷりにも驚愕した。エリートとして育てられ進学やら選挙やらで発揮される圧倒的コネクション、すごい。

 暗殺の犯人を海軍関係者のアーレイ・バーク提督と名指ししていて、これまた驚いた。なんでも別の著書で詳しく検討した結果らしいけど、これってどんくらい妥当なんだろうか。
読了日:2月2日 著者:土田宏
http://bookmeter.com/cmt/44765124

 

 

 

武道の誕生 (歴史文化ライブラリー)

武道の誕生 (歴史文化ライブラリー)

 

 ■武道の誕生 (歴史文化ライブラリー)

 明治期に廃れかけた武術を、「和魂洋才」的な発想で近代化したものが「武道」である、というのが本書の認識。その武道の誕生と発展を追う。「武道」の誕生とその展開に大きな役割を担ったのが嘉納治五郎。教育者としてのキャリアももつ嘉納の独特のバランス感覚によって、前近代の武術の伝統と近代的な合理性という二重の性質をもつ「武道」としての柔道が成立するに至る。しかし1930年代のナショナリズムの高まりにより、伝統的な部分が殊更に強調され、スポーツ全般が「武道」化ともいえるような色彩を帯びるようになった。

 その後敗戦を経て、「武道」のスポーツ化という全く逆の流れが生じたのは歴史の皮肉という感じ。とはいえ嘉納自身の思想においては近代的な合理性と伝統的なものの両者が含みこまれていたわけで、ある意味「武道」の誕生の時点であり得るかもしれない道として用意されていたのかもと思ったりも。近代において「創られた伝統」である武道の成り立ちと発展は、日本の近代化というより大きな問題を考えるための材料の一つとして面白いと思った。

 小学生の時分に読んだ伝記かなんかの影響で、嘉納治五郎って他流派の武術家を決闘でばったばったとなぎ倒した、みたいなことが書かれていた記憶があるんですが、嘉納自身は直接は他流試合をしなかったらしい。

嘉納は柔道家であると同時に、柔道について倦まず弛まず語り続けた「言説の人」でもあり、その精力的な言論活動を通して、もはや武士階級の存在しない近代社会における柔道(ひいては武道)の存在意義を確立することに成功した。その意味で講道館柔道の発展と普及は、全体として見れば、実戦の勝利というよりもむしろ「言説の勝利」であった。

 この嘉納像は結構衝撃でした。
読了日:2月2日 著者:井上俊
http://bookmeter.com/cmt/44777531

 

ラカンはこう読め!

ラカンはこう読め!

 

 ■ラカンはこう読め!

 「最良のラカンの読解法とは、ラカンの読書法をみずから実践すること、すなわちラカンとともに他者のテクストを読むことではなかろうか」という指針のもと、ラカンを使ってテクストや現実を解釈していくなかで、ラカンの思考を提示しようと試みる。『羅生門』やら『カサブランカ』やら、個別の作品の解釈はなるほどなーと納得し、かつ面白いんだけれども、ラカンが「わかった」かと言われると(そもそもそんなことを目指した本でもないけど)、全然わかっていないという感じ。象徴界とか現実界とか超自我とか、それっぽく使ってるだけという気が。
読了日:2月4日 著者:スラヴォイ・ジジェク
http://bookmeter.com/cmt/44805041

 

ポストモダンの思想的根拠―9・11と管理社会

ポストモダンの思想的根拠―9・11と管理社会

 

 ■ポストモダンの思想的根拠―9・11と管理社会

 差異のポストモダンから管理のポストモダンへの遷移、その中で前面化する(オーウェル的・ハックスリー的な統制管理社会とは全く異なる)自由管理社会について論じる。自由管理社会とは、ドゥルーズフーコーらがその出現を予感した、人々の自由な欲望に寛容であり、そうした自由を前提にした上で管理するような社会。それが立ち現れてきたこと911以後可視化されたということを、哲学的な議論を引いて簡明に説明している。最終的にはドゥルーズフーコーの辿り着いたアポリアが提示され、ポストモダニティの困難さが強調されている印象。

 ドゥルーズフーコーだけでなく、<帝国>からネオリベラリズムコミュニタリアニズムデリダなどなど、所謂ポストモダン的な思想が「自由管理社会の出現」という文脈のなかで簡潔に整理されている。その意味で、ポストモダンの思想史的なものを提示しているような気もして、入門書として優れていると感じた。充実したブックガイドも付属しているし。それぞれの論者について「さらに深く知りたくなる」という意味でも。
読了日:2月4日 著者:岡本裕一朗
http://bookmeter.com/cmt/44822258

 

世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)

世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)

 

 ■世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)

 911前後の講演をそれぞれ一篇ずつ所収。世界的な環境問題の前景化、テロリズムの脅威のなかで立ち現れてきた「世界リスク社会」のなかで、人々はどう行動し、国際政治はどのような道を目指すべきなのかを提起する。反省的近代社会において、これまでと異なる意味での危険≒リスクが出現したことにより、カントが理想としたような世界市民社会や、国家間の協調、下からの「サブ政治」の可能性もまた開かれたというのがベックの立場だろうか。訳者がベックの経歴から所収されている講演の位置付け、そしてその批判まで解説していて勉強になった。
読了日:2月5日 著者:ウルリッヒ・ベック
http://bookmeter.com/cmt/44831166

 

大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任

大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任

 

 ■大塚久雄丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任

 大塚久雄丸山眞男のテクスト分析を通して、総力戦体制下の動員と戦後啓蒙の思想との連続性を問う。そして彼らの措定した「自己同一的な主体」という概念が今なお問題を含んだ形で活力を持っていることを、「ボランティア」を素材にして論じる。大塚、丸山の両人が称揚した「自発性」でもって社会にコミットする主体という像が、総力戦体制と戦後の日本それぞれに適合的であることを具体的なテクストに即して論証する手際に唸る。たとえそれが歴史の裁判官として過去を裁くことだとしても、こうした批判は今こそなされるべきと感じる。

関連

今だからこそ、「戦後的なるもの」を問い直す―中野敏男『大塚久雄と丸山眞男 ―動員、主体、戦争責任』に関するメモ - 宇宙、日本、練馬

読了日:2月7日 著者:中野敏男
http://bookmeter.com/cmt/44897538

 

「デモ」とは何か―変貌する直接民主主義 (NHKブックス No.1190)

「デモ」とは何か―変貌する直接民主主義 (NHKブックス No.1190)

 

 ■「デモ」とは何か―変貌する直接民主主義 (NHKブックス No.1190)

 震災後に一つの社会現象にまでなったデモとは何なのか、それをニューヨークのオキュパイ・ウォールストリート運動との関連、また戦前戦後の社会運動の流れから論じる。大正デモクラシーからの日本における「院外」の政治の流れは、全共闘からの浅間山荘事件を経て決定的に悪化した。しかしその後、暴力性を否定し「祝祭」としてのデモを楽しむという方向性が2000年代頃に生じ、それが震災後の反原発デモにも継承されている、というのが大まかな見取り図だろうか。

 こうした現代における直接民主主義、「院外」の政治としてのデモというアクションの仕方はポジティブに評価できる側面もあるとは思う。しかしそうした「院外」の政治は、反原発など「社会改良」に向かう一方で、別の極には在特会的なるものを生み出すような気もして、社会にサディズムを蔓延させる可能性も併せ持っているような気も。
読了日:2月7日 著者:五野井郁夫
http://bookmeter.com/cmt/44904059

 

丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

 

 ■丸山眞男リベラリストの肖像 (岩波新書)

 丸山眞男の評伝。その誕生から死までが整理されてまとまっている。著者自身は丸山とそれほど関係をもっていたわけではないからか、丸山に対して好意的ではあっても熱狂的な傾倒みたいな印象はなかった。一読して感じたのは、丸山にとっては戦中の経験、特に誤認逮捕と従軍が大きくその人生に影を落としているのだなーということ。不意に「異質な者」たちの中に投げ込まれる経験、突然に未来を閉ざされるような感覚、そのいずれもが。やっぱり戦争を潜り抜けた知識人の迫力ってあるよなー、とか不謹慎ながら思ってしまった。
読了日:2月8日 著者:苅部直
http://bookmeter.com/cmt/44927404

 

イタリア現代思想への招待 (講談社選書メチエ)

イタリア現代思想への招待 (講談社選書メチエ)

 

 ■イタリア現代思想への招待 (講談社選書メチエ)

 イタリア現代思想を紹介する論考4篇をまとめたもの。60年代以後のイタリア現代思想の素描、カッチャーリ論、キリスト教との関わり、芸術やテクノロジーとの関わりにそれぞれ焦点をあてている。イタリアの思想家といえばネグリやアガンベンエーコぐらいしか思いつかなかった状態から読んだので、名前も聞いたことのない思想家の名前が百出してびびった。故にあんまり頭に入っていないかも。イタリアにおいては美学の存在感が大きいのだなーというのが一読しての感想。
読了日:2月13日 著者:岡田温司
http://bookmeter.com/cmt/45051820

 

 

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 

 ■アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 人間の「分裂症」的なあり方をひとつの鋳型にはめるエディプスコンプレックスに依った精神分析、ひいてはその背景にある資本主義、国家社会に対置して、社会を吹き飛ばす可能性を秘めた欲望を全面的に肯定する「分裂分析」の立ち上げを試みる。上巻は精神分析に対しての紙幅を大きく割いての批判を経て、原始的大地機械から専制君主機械への遷移という哲学的な歴史叙述へと進む。「器官なき身体」に代表される独自の概念が百出し、どこまで理解できているのかあやしいが、それでも読み進められるのは文体の勢いゆえか。
読了日:2月14日 著者:ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ
http://bookmeter.com/cmt/45079577

 

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 

 ■アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

 オイディプス的なるものの起源を問うための歴史の分析は、下巻にいたって遂に文明資本主義機械の出現まで到達する。脱領土化の運動を展開し続けると同時にまた再領土化を進行させる資本主義の運動の逆説。その中でオイディプスという抑圧の体系が生じもする。それに抗するために、欲望の、欲望による革命、その具体的な実践としての分裂分析を提唱し、本書の分析は閉じられている。わかったのか、わからないのかと問われれば、おそらく何もわかっていない。しかし読み終えたことで何かが変わったという感覚もある、不思議な読後感。

関連

ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス: 資本主義と分裂症』を読む - 宇宙、日本、練馬

読了日:2月17日 著者:ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ
http://bookmeter.com/cmt/45155922

 

移りゆく「教養」 (日本の“現代”)

移りゆく「教養」 (日本の“現代”)

 

 ■移りゆく「教養」 (日本の現代)

 現在、「教養」とはいったいなんであるのか。近代日本における「教養主義」や、政治的な教養、社会の伝統との関わりなどの回り道を通っていくなかで、その問題に答えようとする。そういう回り道も面白いは面白いのだけれども、なんだか散漫な印象を受けもした。とはいえそうした回り道の中で「教養」の様々な側面を垣間見れたのも事実であり、多面体としての「教養」をぼんやりと提示してもいるきがする。最終的には、「教養」とは他者を「じっくり学ぼう」とする姿勢である、というのが結論だろうか。教養主義的な暴力を戒めながら。 

「教養」を特にありがたいものとも思わず、他人にそれをひけらかすこともせず、自分で愉しみながら「文化」に浸ってゆくこと。

 終わり近くのこの一節が印象的。
読了日:2月18日 著者:苅部直
http://bookmeter.com/cmt/45180008

 

詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」 (NHKブックス No.1191)

詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」 (NHKブックス No.1191)

 

 ■詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」 (NHKブックス No.1191)

 関東大震災ののち、日本社会が歩んだのは復興ではなく「大戦争」への道だった。震災の経験から国民総動員の総力戦へと移り行く時代の中の民衆の「心情」を、北原白秋を代表とする詩歌に関わる人物に関わる思想史、そして詩歌の大衆的な受容に関する社会史という二つの軸から描く。国家による道徳の押し付けへの反発から、「郷愁」のような民衆の感覚に根ざしていわば下からの「詩歌」を提唱していった白秋の思想は、やがて上からの要請と噛み合う形で下からの動員に結びついていく。そのような全体としてのアウトラインはなるほどなーという感じ。

関連

「大震災」から「大戦争」へ―中野敏男『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』に関するメモ - 宇宙、日本、練馬

読了日:2月19日 著者:中野敏男
http://bookmeter.com/cmt/45217327

 

他者と死者―ラカンによるレヴィナス (文春文庫)

他者と死者―ラカンによるレヴィナス (文春文庫)

 

 ■レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)

 レヴィナスを師と仰ぐ著者による、レヴィナス入門にしてレヴィナス礼賛本。師弟論、他者論、エロス論からなるが、そのすべてに通底しているのは、絶対にわかりようがないものを、理解しようとするでもつかもうとするでもなく、ただ「めざす」という姿勢であると思う。その姿勢に貫かれたレヴィナスのテクストへの向き合い方が大変印象に残った。フッサールやらボーヴォワール、イリガライなど、レヴィナスと立場の違う論者と対比して話が展開される部分が少なくなく、理解の助けになった。

 昨今あまり評判がよろしくない感じの内田さんだが、この本はよいなと思う。ただ、文庫版にふされたあとがきは読後感を見事に破壊する蛇足の極みでしかなく、最近ちょっとろせんがあやしいのではって気もしました。
読了日:2月21日 著者:内田樹
http://bookmeter.com/cmt/45270177

 

超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)

超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)

 

 ■超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)

 主としてファシズムに着目した、戦後10年ほどの間に発表された論考を所収。「抑圧移譲の原理」をひとつの軸として日本ファシズムを分析した表題論文は今読んでも意義を失っていないように思えて、流石丸山の名を一気に知らしめた文章であるなあという感じ。当意即妙な発言の引用など、感じ入るばかり。ドイツなどと比較の上で日本の軍国主義の指導者の矮小性を指弾する丸山の姿勢にはどことなく怨嗟の感情を読み取ってしまうけれども、戦後10年という時代の空気感を感じもする。ソ連コミュニズムに対する評価もそうですが。

 多分本書独自の特色は、丸山の蔵書にあたって論文内の典拠を詳しく明示した点にあるんじゃなかろうか。丸山の蔵書の書き込みやらをもとに、その「知の技法」の一端を垣間見ることができるという意味でも面白く読める、贅沢な文庫化だと感じた。
読了日:2月26日 著者:丸山眞男
http://bookmeter.com/cmt/45396863

 

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