宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

(告知)コミックマーケット101 2日目(12/31)にて個人誌頒布します

 告知です。きたる12月31日、コミックマーケット101 2日目、東5、ヘ-45b、サークル「宇宙、日本、練馬」にて個人誌『迂路と偶然 『氷菓』と京都アニメーションの可能性』を頒布します。

(12/30追記)BOOTHでも購入できますので、ぜひともよろしくお願いします!

amberfeb.booth.pm

 本書は、アニメ『氷菓』の読解を中心にして、京都アニメーションおよび2000年代後半から2010年代、そしていまに至るフィクション経験を扱った評論です。『氷菓』は、単に優れたアニメーション作品であるというだけではなく、京都アニメーションというスタジオのある部分が結晶した作品だと考えています。それは、『氷菓』以前の作品で主題化された問題系が継承されていると同時に、『氷菓』以後の作品で重要な主題として浮上してくるそれが先取りされている、ということを意味します。

 それはすなわち、2010年代前後の日本におけるアニメーションあるいはフィクションのある部分が、一つの作品のなかに看取されうる、ということでもあると考えます。そこで、『氷菓』の読解を中心に据えつつ、京都アニメーションをはじめとする同時代の作品群の文脈という間テクスト空間へとはみ出しながら、わたしたちにとっての「いま・ここ」の輪郭や手触りのようなものを書き留めようと思いました。

目次は以下の通りです。

目次
序   まわり道の地図    
第一章 「わたし」と「セカイ」の憂鬱と和解    
第二章 きっと「特別」なわたしたち    
第三章 誤配と偶然性の探偵    
第四章 春を待つ依頼人    
第五章 黄昏どきをとぼとぼと歩く    
結   ふたたび「緋色の研究」    
あとがき   

A5版本文80頁、約4万字になります。お値段は900円の予定です。

 内容について、簡単に紹介しましょう。序、第一章、結が書き下ろしで、ほかは本ブログや同人誌ですでに公開したものに加筆修正したものです。第二章・第四章はブログ記事、第三章は2018年に発刊した個人誌、第五章は2022年5月の文学フリマ東京で発刊された『アニクリ vol.2s_β』がそれぞれ初出です。

 第一章では、『涼宮ハルヒの憂鬱』を補助線にして『氷菓』の読解を試みます。この二つの作品は作風も設定も大きく異なりますが、ある心情を共有していると考えます。その心情とはすなわち、「いま・ここ」を離れた「ここではないどこか」への希求です。宇宙人、未来人、超能力者を探していると豪語する涼宮ハルヒはまさに「ここではないどこか」を求めてドラマを駆動させるわけですが、それでは『氷菓』ではその役割は誰に割り振られているのか。その人物を中心に読み解くとき、この二つの作品はいずれも「憂鬱な日常といかに和解するか」を問うた作品として立ち現れ、そして異なる回答が見出されることになります。

 第二章では、『氷菓』作中で重要な意味を付与される「特別さ」をてがかりに、それがいかなる文脈を機能させているかを跡付けます。端的に言えば、『氷菓』においては「特別さ」は二つの意味を帯びている。そしてその二つの方向こそ、京都アニメーションが語ってきた/これから語ることになる二つの可能性そのものなのです。

 第三章では、その「特別さ」の担い手たる存在である「探偵」が、『氷菓』においてどのように描かれているかを論じます。エラリー・クイーンはその小説中の読者への挑戦状で「唯一適正な解決には、≪もしも≫も≪しかし≫もない。」と記しましたが、しかし『氷菓』においては、≪もしも≫も≪しかし≫もありえる、すなわち偶然によって揺らぐ空間に謎が謎として現れます。この「偶然」との関係の中で、探偵もそのあり方を問われているといえるのです。

 第四章では、第22話「遠まわりする雛」の結部で、折木奉太郎の「寒くなってきたな」という投げかけに対して、なぜ千反田えるは「いいえ、もう春です」と返したのかを問います。このやり取りはコナン・ドイルによるシャーロック・ホームズ譚のラストを飾る挿話、「最後の挨拶」にオマージュをささげたものですが、およそ100年の時差こそが、この応答を解く鍵になるわけです。

 第五章は、『氷菓』の放映と同じ2012年に劇場公開された映画、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を参照します。制作スタジオもジャンルもまったく異なるこの二つの作品を並べて論じることは、奇異に映るかもしれません。しかし、この二つの作品のラストショット——どこかへとぼとぼ歩いてゆく少女と少年——には、強い親近性があると考えます。その同時代的なシンクロニシティを手掛かりとして、『氷菓』・『ヱヴァQ』から10年という時間のもたらしたフィクション経験がここでは主題となります。

 最後に、結において、『氷菓』を探偵小説論の文脈に置きなおし、そこから彫琢される「いま・ここ」での倫理を素描してこの本は終わります。笠井潔による、「探偵小説の黄金期をもたらしたのは、第一次世界大戦による大量死の経験である」というテーゼを参考に、東浩紀内田隆三の議論を経由して、『氷菓』を歴史的な文脈に位置付けようとする試みでもあります。

 

 こういうご時世ですので会場に足を運ぶのはちょっと…という方は、Twitterの知り合い(フォロー関係とか、いままで自家通販でやりとりした方とか)でしたら自家通販承ります。お気軽にDM等いただければ…。

また、年明けになりますがBoothでの通販も検討しております。

 

 会場では以下の個人誌も再頒布する予定です。あわせてよろしくです。

 

(12/30追記)BOOTH、設定しましたので、ご活用くださいませ!

amberfeb.booth.pm

 今回の個人誌は2016年末発刊のものの、個人的なリベンジというか、そういう気持ちです。こちらはもう在庫が手元にないんですけど、お持ちのかたはあれしてください。

amberfeb.hatenablog.com