宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

知略の果てと外────米澤穂信『黒牢城』感想

黒牢城 (角川書店単行本)

 米澤穂信『黒牢城』をようやく読みました。以下、感想。

 時は戦国。主君、織田信長に叛旗を翻し、有岡城にたてこもる荒木村重。そこに、翻意を促す使者として派遣された小寺官兵衛(黒田官兵衛)は、斬られもせず、無論無事で帰されもせず、城内の地下牢に幽閉されてしまう。村重の深謀からでたこの対応は、しかし武士の世の「道理」にかなわぬものであり、それにより思わぬ因果がめぐりはじめる。

 青春ミステリーの名手、米澤穂信による直木賞受賞作は、著者にとってははじめて、近世の歴史的事実を背景にした、歴史小説風ミステリー。これまでも、『犬はどこだ』で過去としての歴史をモチーフにとり、また『折れた竜骨』では12世紀末のヨーロッパを舞台にしてはいたが、しかし実在の、よく知られた歴史上の人物を主要なアクターとして登場させるのは初の試みで、このあたり山田風太郎の『明治断頭台』などを想起させもする。

 黒田官兵衛の幽閉という事実は、たとえば大河ドラマ軍師官兵衛』でも大きなターニングポイントとして描かれた、ある程度ポピュラーなものだろう。そこに、籠城戦下の「密室」(織田の手のものの侵入を許すようになるので密室感は希薄になるが)において、事件解決に奔走する大将、荒木村重と、安楽椅子探偵のごとく、幽閉の身でありながら知略めぐらす黒田官兵衛という構図は、どこかクラシックなミステリーの構図を感じさせる。いくつかの別々に生じた事件が、やがて一つの意志によって描かれた絵として結実する、という連作短編的な構成を活かした仕掛けは、米澤穂信という作家の熟練ぶりをいよいよ感じさせる。以前直木賞候補となった『満願』が、各短編の独立性を選考委員にくさされるという(選考委員の無理解をさらす)結果になったことを想起するならば、この『黒牢城』で、無理解な読み手にもはっきりとわかるかたちで自身の力量を示しえたともいえる。

 先に挙げた『明治断頭台』との相似は、歴史上の人物を主要なアクターとすることのみならず、連作短編的な構成からクライマックスで黒幕の意図が浮上する展開もまさにそう。ここで幽閉の身である黒田官兵衛に焦点があたるのは読者の期待通りではあるが、それだけにとどまらない仕掛けになっているのはお見事。

 その二段構えについてはここでは詳述しないが、才知に長けた黒田官兵衛が、牢の中から計略をめぐらし、結果的に自身の息子を死に追いやった荒木村重に復讐を試みていたことが明らかになる。官兵衛は自身の知を頼みとし、機会があればそれを発揮せずにはおかないような人物として、村重からは評される。さればこそ、村重も城内でおこる奇妙な出来事の謎をとくため、この囚われ人を利用しようとするのだ。

 この自身の力に自負をもち、それを試す時をうかがうような性格類型は、デビュー作より米澤のモチーフになっていた「思春期の全能感」のある種の変奏をみとめることができるかもしれない。

amberfeb.hatenablog.com

 現代において「思春期の全能感」をまとった少年たちと同じく、官兵衛の知略もかならずしもその意図を十全には遂げられない。荒木村重の名を貶めることには成功したかもしれないが、それが無用な死体の山を築く結果をももたらしたのでは、と苦悶する。しかし、それだけに終わらないのがこの『黒牢城』の結部に驚きをもたらしていて、史実としてわたくしたちがすでに知る、官兵衛の息子の運命が、知をたのみにするこの男にとって思いもよらぬ因果として立ち現れるラストに、「思春期の全能感」とのある意味では幸福な決着をわたくしはみたのだった。