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思春期の不全感と和解するために────アニメ『僕の心のヤバイやつ』感想

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 このところぼんやり『僕の心のヤバイやつ』をみていました。以下、感想。原作の展開にも触れています。

 中学2年生の少年、市川京太郎は、猟奇的な内容の書籍を愛好し、周囲の友人たちと一線を引きながら学校生活を送っていた。そんな彼にとって、同じクラスの美少女、山田杏奈まったく別の世界にいる存在だったのだが、ぐうぜん図書室でおかしをほおばる彼女をみかけて…。

 現在はマンガクロスで連載されている、小柄で内気な少年と、背が高く明るい美少女の交感を描くラブコメディ漫画のアニメ化。『みつどもえ』の桜井のりおがまさかこんな直球のラブコメを描くのか、という素朴な驚きがあったのだが、原作は物語の進行にしたがって巧みに課題設定を変化させながら、二人が付き合いだしてからも巧妙に読者の期待を誘導しつつテンションを維持していて、そこに絶妙な手練れ感があると思う。まさに満を持して、という感じがするタイミングでのアニメ化だったのでは。

 監督を務めるのは『からかい上手の高木さん』などの赤城博昭、脚本は『響け!ユーフォニアム』などの花田十輝。『週末批評』主催のてらまっと氏は、『からかい上手の高木さん』などの作品群を、「奥手な男性主人公がヒロインに “逆攻略” されていく物語」という構造を共有する「ラブコメ・ヌーヴェルバーグ」と名指したが*1、この『僕ヤバ』もそうした女性優位風の構図ではありつつ、相互作用のなかで男女ともに変容していくような筋立てになっていて、その意味では『高木さん』的な女性による男性の感化・調教的なトーンは薄い、気がする。

 この作品の主人公、市川京太郎は自分自身の能力を過少に見積もり、その自己評価に基づいて人間関係から撤退しようとしているような雰囲気がある。自分なんかに美少女である山田が関心をもったりするわけがないし、付き合ったりするなど絶対にありえないという思い込みが前半における彼と彼女の関係を規定する。

 『氷菓』でデビューした、青春ミステリの優れた書き手である米澤穂信は、自身の作品の主題を「思春期の全能感」と要約している*2。この「思春期の全能感」は米澤の作品のなかで、少年たちを「この謎を解くのはこの自分こそがふさわしいのだ」と駆り立て、そしてそれを挫折に導く機能を果たす。この全能感を喪失し、自身の身の程を思い知らされた時、思春期はある意味でおわる。

 市川の不全感はこの陰画だといってよく、「自分なんかどうせ無理」という決めつけは結局のところ自身のかすかな誇りを防衛するための機制でしかない。「自分にしかできない」と「どうせ無理」のあいだ、ほどほどになにかできたりするが、ぜんぶがうまくいくわけではない、そのなかで適切に物事をやり過ごしたりすること。それがたぶん思春期の全能感/不全感と和解してなんとかやっていくための術なのだ。

 しかしそうした中庸の退屈さと凡庸さに宙吊りにされることが耐え難いものだからこそ、全能感と不全感をいったりきたりして苦悶する必要があるのだ。その苦悶の果てにそれぞれの仕方で世界のままならなさと和解すること、その仕方を教えてみせることが少年漫画・少女漫画の使命の一つなのだろうと思う。

 

 『僕ヤバ』と同クールに放映された『スキップとローファー』もまた、思春期の全能感と不全感との綾が書き込まれた漫画だと思うんだが、まだアニメ化されていない部分に出てくる氏家くんの存在に、(山田と出会えなかった)市川のありえたかもしれない可能性を想起したりもした。

 話がそれた。そんなことをぼんやり考えてながらみていたのでちゃんと画面をみていなかった気がするが、でも市川も山田もキュートでよかったですね!

 

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