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疾走と勇気────『いだてん〜東京オリムピック噺〜』金栗四三編感想

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 この数か月、『いだてん〜東京オリムピック噺〜』をみていて、先日折り返しの金栗編クライマックスまでみました。ここまでのところで感想を書いておきましょう。

 1964年、オリンピック開催を控えた東京。日本が初めて選手を送り出した、1912年のストックホルム大会から、およそ半世紀。オリンピック東京開催にいたるまでの道のりを、日本人初のオリンピアンであるマラソン選手、金栗四三と、水泳チームの監督をつとめ、やがて東京オリンピック招致で活躍する田畑政治の二人を主役に据えて、落語家の古今亭志ん生の噺を添えて語る。

 近代、それも昭和期を主要な舞台にした大河ドラマは1986年の『いのち』以来(2021年放映の『青天を衝け』も結部は昭和でしたが、主要な時期は幕末~明治でしょう)、またオリンピックというテーマを軸に近現代史を語ってみせようとする野心みなぎる意欲作。第1話の構成からして、1964年の東京オリンピック開催間近の様子を映しつつ、嘉納治五郎のもとにオリンピックへの招待状がとどく明治を描く、時系列的にも凝った構成で、それらを統御する古今亭志ん生森山未來ビートたけし)の語りによって目線が重層化するつくり。かつて『タイガー&ドラゴン』で落語を扱った宮藤官九郎が、その集大成ともいうべき仕方で歴史と対峙しているという気がする。

 集大成という意味では、橋本愛杉本哲太など、『あまちゃん』と共通するキャストも結構多く、そもそもこの企画が立ち上がったのは同作の成功を受けてのものだというが、ポスト震災といういま・ここの時代状況を引き受けているという意味で、この『いだてん』は疑いなく『あまちゃん』の精神性を継承している。

 ポスト震災、そしてプレ・オリンピックという時代性のなかで(その頃はまさか新型感染症の世界的流行など想像だにしていなかっただろう)つくられたこの『いだてん』には明白に時代の刻印がなされていて、それがこの作品に固有の価値を生み出していると強く感じる。オリンピックをめぐる情熱、そしてそれが否応なしに巻き込まれる社会と政治を描きながら、それでもこの祭典はかくあってほしい、という願いが託されていて、それが現実のオリンピックがむしろ不和と分断、我々を包囲する様々な膿みの結晶として機能してしまったことを知る現在から眺めると、あまりにもまぶしい、ということはあるけれど。

 前半の主人公たる金栗は熊本生まれの単純素朴な善人で、その素朴さから生まれるエネルギーでひたすらにドラマをけん引していく様は、大河ドラマの主人公として異質という印象を受ける。しかしそれが、まさに近代化のなかで「進歩」を信じていたであろう日本列島の市井の人々の象徴でもあるのだろう。ストックホルムで共に走ったライバル、ラザロの死など昏いモーメントはあれど、箱根駅伝、そして女子高で教鞭をとる金栗のドラマのトーンは明るく、楽しい。

 だからこそ、関東大震災が訪れる第23回「大地」は、一層かなしく、つらい。この「大地」と第24回「種まく人」は、タイトルの「いだてん」に託された意味の一端が明かされ、ほとんど最終回のようなカタルシスがあり、傷ついた都市と人々のあいだを駆ける金栗の姿に否応なしに胸を熱くさせられる。国立競技場が傷つき疲れた人のために供されたように、いだてんの疾走もまた、誰かを勇気づけるためのものであってほしい。この挿話には、そうしたスポーツへの理想が直截に託されているような気がした。

 しかしさらに驚いたのが、その直後の田畑政治編が開始してなお、この金栗編のクライマックスの勢いが見事に持続していること。人見絹枝の疾走と死を描いた第26回「明日なき暴走」が、ある意味ではその後の昭和史を暗示するような暗さをまとっているように、田畑編にはいっていよいよ、金栗編ではそれほど前景化しなかった大文字の政治が前景化してくる予感があり、ここからさらに、大化けするのだろうという確信めいたものを抱いているのだが、それがとにかく楽しみです!