1957年、イタリア、モデナ。フェラーリの社長、エンツォ・フェラーリは、自身の会社の名声を高めることには成功していたが、経営は危機にあり、また息子を喪い妻との関係は冷え切り、愛人と私生児だけが心の安らぐ場所であるようだった。起死回生をかけ、イタリア全土を縦断する公道レース、ミッレミリアに挑もうとするのだが…。
マイケル・マン監督の8年ぶりの新作は、フェラーリの創業者の危機を描いた伝記映画。プロデューサーをつとめた『フォードvsフェラーリ』の裏面史・前日譚の雰囲気も漂うが、同作がアメリカン・ヒーローをストレートに描いた娯楽映画だったのに対し、この『フェラーリ』は、全体的に不全感ただよう、アンチクライマックス的な構成になっている。
主演のアダム・ドライバーは、メイクで老境に差し掛かったエンツォ・フェラーリを好演。リドリー・スコット監督の『ハウス・オブ・グッチ』ではグッチ家の御曹司を演じていたが、しかし公開控えているフランシス・フォード・コッポラの『メガロポリス』といい、巨匠に愛されすぎでしょう!エンツォの妻を演じるペレロペ・クルスは、不機嫌さをみなぎらせる中年女性に迫真のリアリティを付与しており、この映画の白眉といっていい。
『パブリック・エネミーズ』では禁酒法時代のクラシックカーで画面を彩ったマイケル・マンは、この作品でもクラシックなレーシングカーを見事に再現していて、それがこの映画の大きな魅力にはなっているが、ミッレミリアでおこる事故と、その予感が作品全体を覆っていて、レースシーンは必ずしも爽快感をよびおこさない。とはいえ、イタリアのロケーションはすばらしく、それを疾走するレーシングカーをロングショットでとらえた場面など、ため息がでるほど美しくはあるのだが。
作中ではすでに亡くなっている息子の存在と、作中で何度かおこる劇的な死とが、この映画のトーンを決定していて、かなりストイックな映画である。それは『パブリック・エネミーズ』もそうだったかもしれないが、この娯楽性のなさ、退屈さを享受するのは絶対的な贅沢ですね。