『ロムルス』に備えて『エイリアン』を再見したのだった。
22世紀。地球へ向かう貨物船で、冷凍睡眠から目覚めた乗員たちは、知的生命体からの信号を探知したため、地球への帰途に就く前に小惑星を探索することになる。そこで発見したのは、廃墟と化した宇宙船と、謎めいた不気味な生物の化石だった...。
1979年公開。リドリー・スコットの名を一躍知らしめた、すでに歴史的古典ともいえるSFホラー。もうすこしで公開から半世紀経とうといういまになってなお、その恐怖はまったく色あせていない。閉鎖空間に化け物と閉じ込められる。しかもその化け物の見た目はおぞましく不気味。その恐怖で見事に一本の映画を成立させているのがえらい。筋を知っていても、嫌なものは嫌だし、怖いものは怖い。
H・R・ギーガーによるデザインはほとんど普遍的といっていい嫌悪感を喚起するのではないか。改めて見返すと映画全体に性器の換喩のようなイメージが横溢していて、そもそもエイリアンそのものも向きだしの性器のようだし、性器のモチーフがあからさまでも、性器そのものでなければ許容されるのだな、というのが改めて不思議かも。
シガニー・ウィーバー演じるリプリーがシリーズの中心人物になっていることをすでに知っているとはいえ、しかし「誰が生き残るか」まったく予想もつかない、誰を中心人物というわけでもなく状況を進行させていく語りも巧妙。
人造人間やはぐれものたちが宇宙開発に従事させられ...という背景はその後リドリー・スコットが監督する『ブレードランナー』同様で、この未来のビジョンが20世紀後半のある種の時代精神のようなものだったのかしらと感じもするが、『エイリアン』にしても『ブレードランナー』にしても、それらの背景を含む作品世界にドラマを奉仕させず、あくまでドラマの後景とするストイシズムよなあ。


