岡本亮輔『キリスト教入門の系譜 内村鑑三、遠藤周作から渡辺和子、オンライン教会まで』を読んだので感想。
日本におけるカトリック、プロテスタント、正教会など主流派に属するキリスト教徒は、人口の1パーセントにも満たない。しかし、キリスト教に関心をもつシンパ層の広がりはどうだろうか。本書はその層に焦点をあて、日本列島においてキリスト教入門的な著作をあらわしたキリスト者たちの人物と思想をたどっていく。
わたくしもクリスチャンではないがキリスト教にゆるい関心をもっていて(アメリカ近代史を専門にしていてキリスト教に関心をもたないというほうがおかしいが)、その意味でわたくしのような読者層がどのようにキリスト教と接点をもってきたか、という歴史としておもしろく読んだ。
北海道は札幌農学校でキリスト教と出会い、無教会主義という大きな流れをつくった内村鑑三にはじまり、その系譜に属するキリスト者たち、あるいはそれを批判的にまなざすカトリックの信徒、という二つの大きな流れがあるうえで、戦前の賀川豊彦ら、戦後の遠藤周作や三浦綾子というキリスト教文学のラインがある…という風に整理できるかなという気がした。
驚いたのは曽野綾子が取り上げられていることで、この人物について、有害な保守系言論人という以上の印象を持たなかったのだが、その人生において一つのターニングポイントにキリスト教との出会いがあったと知ったのは驚きだった。そのキリスト教と接した経験と、弱者に対する酷薄な態度とがどう接続されるのか、まったく理解できないところではあるが…。本書はそのあたりの曽野の発言についてはまったく触れられていない。
遠藤周作と三浦綾子という、戦後のキリスト教文学を代表する二人について、田川健三(本書でもちょびっと引用されている)が評した、三浦綾子の単純素朴な世界観(クリスチャンが善の体現者として出てくる)よりも遠藤の棄教者に自身の存在を託した弱いキリスト者というビジョンの強靭さ(それゆえ田川は遠藤を強く批判する必要があるのだとしていたが)という見立てに影響されていたのだが、本書によってそれが解毒されたような気もする。
それと本書は結構章・節タイトルや小見出しで遊んでいるところがあって、それが妙に印象に残った。「この宗教文学がすごい!」とか「この宗教文学がすごい!」とか「マリア様が見てる」とか「ネットは広大だわ」とか。呉座勇一『戦争の日本中世史』とかはそれでダダ滑りしていたが、本書はそう感じなかった。不思議である。
