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『ゼロ・ダーク・サーティ』 と『キングダム/見えざる敵』 復讐の先にあるものは

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 『ゼロ・ダーク・サーティ』をBlu-rayで視聴。緊迫感あふれる重厚なサスペンスだった。娯楽性では監督の前作である『ハート・ロッカー』や、アカデミー作品賞を争った『アルゴ』には及ばないと感じたが、描写のリアリティは「実録ビンラディン暗殺」とも言うべきもので、大変満足。ただ、なんとなく引っかかる点もあったので、それを以下に書き留めておきたい。

 マヤは復讐の果てに何を得たのか?

 劇中で主人公のマヤは、ビンラディンを探し出すことに、驚異的な執念を燃やす。彼女を駆り立てるのはいったい何か。それは間違いなく「復讐」であろう。中盤、彼女と共にビンラディンを追っていた同僚が、自爆テロによって命を落とすことになる。それ以後、彼女の捜査活動は異常ともいえる情熱を孕むことになる。その狂気を帯びた追跡劇の果てに、彼女は何を得るのか。

 それは、ビンラディン暗殺が果たされた後の彼女の態度に表れている。この時のマヤ役ジェシカ・チャスティンの演技が絶妙で、暗殺が成功した達成感、仕事を全うできた安堵感、長年の目標が達されてしまったがための空虚感など、どうとでも解釈できるような表情やしぐさを見事に演じている。この「なんともいえない感」こそ、間違いなくマヤの本心であろう。だが、単なる個人の感傷に、この復讐劇を落としこんでいる(ような印象を私は受けた)ことに、なんだか釈然としないものがあった。それは、ほぼ同様の題材で、観客に冷や水をぶっかけるような、とんでもない映画をかつて見ていたからだ。それは2007年に公開された、『キングダム/見えざる敵』である。

 

『キングダム/見えざる敵』における復讐

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 『キングダム/見えざる敵』と『ゼロ・ダーク・サーティ』は結構似ている。911後のイスラム圏で、テロによって同僚を殺害された主人公が、その首謀者の捜索に血道を上げる。どちらも爆弾テロによって同僚が殺害されるという点で共通しており、また直前まで主人公と連絡を取っているという点も似通っている。『ゼロ・ダーク・サーティ』では同僚が死ぬのは中盤ごろだったが、『キングダム/見えざる敵』では冒頭でいきなりテロの犠牲になる。そのような瑣末な共通点・相違点はおいておくとしても、物語の核に、イスラム原理主義テロリストに対して復讐という個人的動機によって駆り立てられた主人公が闘いを挑む、という構図が共通して存在することは見過ごせないだろう。

 この両者の最も大きな違いは、『ゼロ・ダーク・サーティ』で復讐の果てに、主人公が得たものは何か、という点にドラマが収束していくが、『キングダム/見えざる敵』は「復讐」が何を生み出すか、という極めて普遍的な問いに、当時のアメリカ人が見たくなかったであろう答えを突きつける。

 キングダム/見えざる敵』で、当然主人公の復讐は首尾よく成功するわけだが、同時にその復讐によって、あらたな復讐者が生まれることを示唆し、映画は終わる。正義を振りかざすアメリカ人も、彼らが恐れ忌み嫌うイスラム原理主義者も、所詮同じ穴のむじなであると指弾するのだ。それまで能天気なアクション・サスペンスのような感じで映画は進んでいたので、急につきつけられるこの批判の衝撃は半端ではない。

 そんなわけで、『ゼロ・ダーク・サーティ』のラストはなんとなくひよった印象を受けた。しかしながら、緊迫感あふれる映画全編の雰囲気は魅力的であることも確かで、トータルで言ったら結構好き、そんな映画だった。『キングダム/見えざる敵』は結構前に見たっきりなので、カン違いがあるかも。また見直さねば。