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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

耐えられない「バイオレンス」の軽さ―アニメ・ゲームにおける暴力描写に関する雑感

 

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 先ほどまでHuluで『ゆるゆり』を見ていたのだが、ひとつ気になることがあった。かわいらしい女子中学生が、からかわれたりなんなりの報復行為において、ためらいなく暴力=「バイオレンス」を行使するのである。かわいらしい中学生が。結果的にそれは、ギャグ漫画的な負傷を被害者が負うことによって中和されるわけだが、この暴力の在り方に、ちょっとひっかかりを覚えた。

 ギャグ漫画的な表現だから許容されるのが当然、という方もおられると思うし、それが普通の反応かもしれない。でも、アニメ・ゲームの暴力描写に関しては、前々からちょっとどうなの、と思っていたので、そこら辺を以下で言語化していきたい。

 最近のハリウッドの「バイオレンス」描写

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本題に入る前に、最近のハリウッド映画で、「バイオレンス」がどう表現されているかを確認したい。結論から言うと、最近のハリウッド映画のメジャーどころは、暴力のもたらす「痛み」を、真摯に描写しようとしている。(『ダイ・ハード ラストデイ』とか例外もいっぱいあるけどさ)

 例えば『ノー・カントリー』なんかは、銃で撃たれた後の対応をこれでもかというほど執拗に画面に写す。しかもとんでもなく痛そうな治療の風景を。『ハート・ロッカー』なんかも、爆発物の威力を凄惨に描写した。『キックアス』は一見暴力を軽く扱っているように見えるが、暴力を徹底してポップに描いた結果、ヒットガールの異常性、ひいてはハリウッドにはびこる無邪気な「バイオレンス」を皮肉っているともよめる。

 バイオレンスとセットになった「痛み」こそが、最近のハリウッドのトレンドなのだ!(適当)

 

日本のアニメ・ゲームにおける「バイオレンス」描写―『To Heart2』を例に

 さて、一方で日本のアニメ・ゲームにおける暴力描写はどうだろうか。これを『To Heart2』を例に考えてみたい。なぜ『To Heart2』なのか。それは、とっても突っ込みどころが満載だからである!というか、この作品こそ、アニメ・ゲームの中の暴力描写ってどうなの、と思うきっかけになった作品であり、つまり『To Heart2』批判こそこの文章を書いている動機なのだ!それをアニメ・ゲームに一般化するな、といわれればそれまでだが、単に『To Heart2』の悪口をいうのもあれなので一般化してみた次第である。

 この『To Heart2』を自分がプレイしたのは、恥ずかしながらつい最近のことである。友人宅にあったPS3版を、PS3のトロフィーレベルをアップするために*1借りてやってみたのである。文章を全部スキップでもしたらさすがに悪い、と思って文章を読み進めていったのだが、あるキャラの登場に戦慄が走った。そう、たま姉こと 向坂環である。

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 たま姉のバイオレンスっぷりに、正直いって恐怖を覚えずにはいられなかった。登場するたびに弟にアイアンクローを極め(PS3だと立ち絵がプルプルしてシュール)、ことあるごとに暴力を笠に着て主人公の行動を制限する。その拳の威力はいかほどのものなのか。テキストによると、「油断すると意識が飛びそうになる」くらいだそうだ。この描写は、主人公に対して甘えてぽかぽか殴っている時のものである。普段意識的に暴力をふるっている時の威力がいかほどのものなのか、想像するのも恐ろしい。おそらく主人公の体はあざだらけ、骨折していてもなんらおかしくない。もしかしたら一生ハンデを抱えて生きることになるかもしれない。しかし、当然のことだが、主人公は特に怪我することもなくたま姉と仲良くやっていく。

 

 このことからわかるのは、 『To Heart2』において、暴力とセットになって生じるはずの「痛み」が隠蔽されている、ということである。しかも暴力は過剰に描写されるから、この隠蔽はもはや失敗している。過剰な暴力のみが描写され、結果が描かれない。被害者である主人公が画面に写されない以上、『ゆるゆり』のように、ギャグ漫画的な負傷に拠っても回収不可能なのだから。この不自然さは、果たして『To Heart2』だけのものか。だけかも。

 

あるべき「バイオレンス」描写とは―安藤真裕監督作品から考える

 というわけで、『To Heart2』についてのべてきたが、アニメやゲームにおいてあるべき暴力描写とはなにか。その答えは、安藤真裕氏が監督した作品にあると自分は思っている。

徹底的に平等な「痛み」と死―『ストレンヂア』

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 安藤真裕×バイオレンスといえば、なんといっても『ストレンヂア』だろう。その凄惨極まる剣劇アクションは、アニメにおける暴力描写の極致といっても過言ではない。リアル風味の、荒廃した中世社会の描写、気合の入った作画など、全てがバイオレンスのリアリティを引き立てている。

 そのバイオレンスの結果生じる「痛み」を克服するため、中国人軍団は薬を使用しているわけだが、「痛み」の先に究極的に生じる死までも回避することはかなわない。安藤氏は、真摯に「痛み」とむきあっているのだ!

 

日常において「バイオレンス」とは?-『花咲くいろは

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 安藤氏が、暴力描写を効果的に用いている作品はなにも『ストレンヂア』だけではない。現代劇である『花咲くいろは』においても、暴力描写が巧みに用いられている。『花咲くいろは』においてバイオレンスとはなにか?画像をみればおわかりいただけるだろう。そう、スイのビンタだ。

 1話のラストで繰り出されるビンタの鋭さたるや、旅館の日常を描くアニメのそれとは思えぬ切れ味。このビンタによって、あまりに不快な気分になったので、1話にして視聴を打ち切った人もいると聞く。

 そう、このバイオレンスのもたらすのは、どうしようもない理不尽さ、「不快感」なのである。創作物における暴力は、時に快感を我々にもたらす。しかし『花咲くいろは』のそれは、「不快感」を喚起する。このビンタは、おそらく安藤監督があえて「不快感」を呼び起こすために使ったものなのではないか。この不快感は、「日常と非日常の脱構築」という本作のテーマと関わってくると思うが、ながくなりそうなのでリンク先を参照されたし

 

 というわけで、「痛み」もしくは「不快感」こそ、バイオレンスとセットになるべきなんじゃないかな、と思っているという雑文でした。

 

 

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*1:最低の行為である

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