読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

受け継がれる思いと限りある生の輝き―『キャプテン・アース』感想

f:id:AmberFeb:20140414004107j:plain

 『キャプテン・アース』最終話を今まさに見終わりました。1クール目まではリアルタイムで見てたんですが、2クール目は全然追えていなくて、どうにか最終回だけはリアル田ムで見ねば、と今日一気に消化して、なんとかおいつけたという感じです。最終回を見終えた今の感想を率直に言うなら、最後まで見て本当に良かった、これに尽きる。以下で感想を。

 ダイチが「自らキャプテンになる」物語だった

 偶然、地球を滅ぼそうとするものたち、キルトガングに対抗しうる力、ライブラスターを手に入れた主人公、真夏ダイチが戦いに身を投じていくことから、『キャプテン・アース』の物語は始まった。そうして始まったダイチにとって、キルトガング=遊星歯車装置との戦いは、おそらく「やるべきこと」であって、「やりたいこと」ではなかった。少なくとも、前者が後者を覆い隠していたように思える。それは前にも記事で書いたんですけども。


タクトとダイチ、二人の主人公―『キャプテン・アース』感想 - 宇宙、日本、練馬

 

 状況に投げ込まれたダイチが、如何にその運命を受け入れ、「キャプテン」というある種の理想のリーダーへと変化していくのか。それこそが『キャプテン・アース』が2クールかけて描いたことなんじゃないだろうか。

 そうした物語として『キャプテン・アース』を読むと、間違いなく大きなターニングポイントは「21話 キャプテンの条件」だろうなと。「18話 荒野の猛襲」でテッペイに突き付けられた、「より多くの人間を救うためなら、ためらわず一人の仲間を見殺しにできるか?」という問いへのダイチの回答が、鮮烈な形で示された。地球を守るためならば、仲間にも引き金を引く。その覚悟こそが、人間的にも思想的にも強烈に対立していた広末レイトの心を完全に屈服させた。

 それが「キャプテンの条件」として本質的かどうかはさておいて、少なくともこの、ダイチの選択が大きな意味を持つことは疑いようがない。ダイチは、運命を仕組まれた、生まれながらにして「キャプテン」の宿業を背負った人間なのかもしれない。しかしそれでも、選択を積み重ねることで自ら「キャプテン」への道をたどり続けた。18話におけるダイチとテッペイとの会話も象徴的だ。

「僕の手を、運命に選ばれた英雄の手だと言った。でも僕は、英雄なんかじゃない。」
「運命に選ばれたんじゃないよ。自分の意思で全てを選び、そして掴むことのできる、キャプテンの手だ。だろ?」

 このダイチたちの姿勢こそ、『キャプテン・アース』のテーマと大きく関わるんじゃなかろうか。

 

それでも有限の時をこそ、生きる

 『キャプテン・アース』において繰り返し語られるモチーフは、有限と無限の二項対立。有限の生を生きざるを得ない人類と、無限の時を生きることができるキルトガングもしくはAI。キルトガングにとって、無限の生を生きる自分たちこそが「本当の人間」で、有限の生など虚しい偽物にすぎない。10話のダイチとリンの会話は、それをはっきりと示す。

確実に死ぬってこと、君たちはどう思ってんの。自分がそういう儚い生き物であることが、惨めにならない?
「僕にね、死ぬ時は笑って死ぬって言った人がいたんだ。」
「そうだね。君たちみたいな生き物、笑って死ぬしかないもんね。」
「いや、多分そういう意味じゃない。」

 こうした無限を称揚するキルトガングの思考を否定し解体し、むしろ有限の生を如何に生きるのか、それこそが重要なのだと高らかに宣言する。有限な生に、有限な青春にこそ輝きがある―これは監督の五十嵐卓哉と脚本・シリーズ構成の榎戸洋司が組んだ『桜蘭高校ホスト部』と『STAR DRIVER 輝きのタクト』でも繰り返し語られたことでもある。 


五十嵐×榎戸アニメの、これまでと、これから―『キャプテン・アース』によせて - 宇宙、日本、練馬

  『桜蘭高校ホスト部』の最終回、アニメオリジナルの結末では、ホスト部員たちが自らの青春=ホスト部を、それが儚いものだと承知の上で選び直した。スタドラでは、永遠の青春を取り戻そうとする大人=ヘッドと、有限の青春を謳歌しようとするタクトたち、という対立軸が最終的に立ち現れた。

キャプテン・アース』ではそれがキルトガングと人間という形で、よりはっきりと、全面にそれが表出しているような感じがする。ダイチには、遊星歯車装置として無限の時を生きる事を選ぶこともできた。しかしそれを彼ははっきり拒否する。

「本当の人間は死なないんだよ」

「君たちの言う本当の人間って何?」

「死んでしまえば、全て終わりだ」

「そうかな?父さんが遺してくれた思いは、僕の中で生きてる」

「選ばない未来は存在しないんですよ」

「だから選ぶさ、自分の意思で」

  23話、夢のなかでのダイチと遊星歯車装置たちとの会話。ここに、『キャプテン・アース』のテーマが要約されているんじゃないか。たとえ死んだとしても、その思いは誰かのなかに残る。ほかならぬダイチは、亡き父の思いによって、「キャプテン」たる力を得たのだから。思いの強さこそ、何よりも人間を突き動かすことのできるものなのだ。

「力が先にあるんじゃない。思いが先にあるんだ。」

「その通りだ。そして僕たちはいつも、その思いの強さを力に変えてきた!」

  終盤に繰り返し語られ、そして最終決戦でも決め台詞として語られるこの「法則」の背後には、「人は死ぬけれども、思いは受け継がれる」というテーゼがある。だからこそ、人間は有限の生を受け入れることができる。でもそれは、「死ぬことを容易に受け入れる」こととは決定的に違う。「あの地球でいつ死んでも後悔しない生き方をしたい」というハナの台詞。これは、死の希求ではなく、あるべき生への欲望を読むべきで、有限性を意識しているからこそ、生の在り方へのこだわりが生まれるんじゃないかと。

 有限だからこそ輝く生、というテーマの、これが『キャプテン・アース』の語り方だったんじゃないかなー、なんて。見終えたテンションそのままに書き散らかしましたが、ハナとダイチの関係とか、テッペイのこととか全然書いてないし、いつかもうちょっと整理された文章を書きたいです、はい。

 

 

 

キャプテン・アース VOL.1 初回生産限定版[Blu-ray][イベント優先申込み券付き]
 

 

 

キャプテン・アース VOL.2 初回生産限定版[Blu-ray]

キャプテン・アース VOL.2 初回生産限定版[Blu-ray]

 

 

 

広告を非表示にする