読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

折木奉太郎と千反田えるの未来について――『氷菓』についての論点整理

アニメ 読書 〈古典部〉シリーズ

「氷菓」BD-BOX [Blu-ray]

 

 先日、小鳥遊@g_fukurowlさんと『氷菓』についてお話しする機会があり、大変刺激を受けました。それから特に考えがまとまったというわけではないのですが、多分、今年度も僕は懲りもせず『氷菓』とか青春とかについて書き散らかしていくのだろうなと思うので、一応今のところの考えを書き留めておこうと思います。

 遠まわりする雛は、どれほど近づけたのか?―「22話 遠まわりする雛」のラストについて

 アニメ『氷菓』を見終えた誰もが思いをはせずにいられないのは、折木君と千反田さんのその後だと思うわけです。はっきりとは語られない不確定な未来だからこそ。

それについては以前に小鳥遊@g_fukurowlさんの示唆を受けてこんな文章を書いたりしました。

amberfeb.hatenablog.com

  ここで彼らの未来はラストショットの象徴する瞬間がすべてであり、彼と彼女が「優しさの理由」を知りたい、と思ったことがすべてなんだ、というのはまあ悪くない読みだと思うんですよ。

 しかしこれは結構瑕疵があるんじゃねーか、とも思えていて。なぜならその前にかわされた2人の会話の意味するところを十全には汲み取れていない気がするから。

折木「寒くなってきたな」

千反田「いいえ。もう春です」

  このやりとりをどう意味付けするか、ということ上の文章を書いた後、頭の片隅に引っかかっていて。

 これは「春」=恋愛の成就的なモチーフとかでは全然ない、と僕は思っていてですね。春とかそんなのはあまり重要じゃなく、2人の発話にズレていることに大きな意味があるのではないかと思うわけです。

 自分の中には、このやりとりに折木と千反田の、決定的な認識のずれを読み込みたいという欲望がある。遠まわりする雛たちのあいだには、未だ越え難い溝が、圧倒的存在感をもって横たわっているのではないか。

 ある意味で、千反田さんは折木君にとって「謎」のままにとどまり続けるというというイメージは多分僕の中にずっとあり、上の文章でもそうなんだが、以下の記事でそれはより鮮明に表れているという気がする。

 というようなお話を(これほど整理はできていませんでしたが)小鳥遊@g_fukurowlさんにしたところ、それは違うんじゃないかというお話をいただいて。

 折木君が「信頼できない語り手」であることは作中で何度も示されていて。だから、「寒くなってきたな」なんてことも信じてはいけない。ほんとは寒くなんかないのだ。そして折木の「嘘」を千反田さんははっきり見抜いて、「もう春です」と告げるんだ。小鳥遊@g_fukurowlさんの解釈はこういうものだったと記憶しています。

 原作の地の文を読むと、確かにこういう含意があるやりとりだなと、改めて気付きました。千反田さんは絶対わかってる。しかしわかっていたとしても「寒くなってきたな」としか言えない折木君問題みたいなのが生じると思うんですよ!折木君が春だなって言えるようになるのか否か、っていうのがね、依然として未決のままでね、あると思うんですよ!なんか全然まとまっていませんが、とりあえずそんな感じです。

 

千反田さんと地元

「見てください、折木さん。ここが私の場所です。どうです、水と土しかありません。人々もだんだん老い疲れてきています。山々は整然と植林されていますが、商品価値としてはどうでしょう?わたしはここを最高に美しいとは思いません。可能性に満ちているとも思っていません。でも……」
「折木さんに、紹介したかったんです」 

 千反田さんは、この思いをいつまで持ち続けるのか。この思いは、彼女に何をもたらすのか。

 もう地元を離れてちょっとは大人になってしまった我々には、これが美しくて、しかし儚い思いだということもわかってしまう。それでもこの告白に胸を撃たれるのはなぜなのか。

 

折木君は、千反田さん以上に「知りたい」と思える相手に出会えるか?

 折木くんは多分、千反田さんとの出会いによって、他者のことをもっと「知りたい」と思うようになった。

 しかしその後の人生で、彼は千反田さん以上に「知りたい」と思える人間に出会えるのか?千反田さんは彼の人生を呪縛することになるのではないか。

 『さよなら妖精』におけるマーヤと千反田。

 

 でも「連峰は晴れているか?」の行動をみるに、それほど悲観しなくてもいいのかも。

 

折木にとっての小木の記憶

 ただ、なんとなく憶えているだけのひとつのエピソード。人生において無数にある出来事のひとつ。それを憶えていることに、どんな意味があるんだろうか。ただ、憶えているということそのものに意味があるのか。

  小木も関谷純も、その残した出来事の断片を拾い上げてもらえた一人、という点では共通しているのかも。描かれることなく藪の中に消えた「クドリャフカの順番」とは対照的に。

 

 こんなことをお話した記憶があるのですが、お酒のせいもあり十分に憶えていない感。しかし何か考えるとっかかりになるやもと思ったのでとりあえずメモしました。『氷菓』、やっぱり好きです。

 

 2016年12月追記

 以上のようなことを踏まえたり踏まえなかったりして、コミックマーケット91で個人誌を頒布する運びとなりました。よろしくお願いします。

amberfeb.hatenablog.com

 

 

 

関連

いままで書いた『氷菓』関連記事のまとめ

 

 

「氷菓」BD-BOX [Blu-ray]

「氷菓」BD-BOX [Blu-ray]

 

 

 

広告を非表示にする