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「法則などない」という法則―『カリスマ』感想

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 黒沢清監督『カリスマ』をみました。以下適当に感想を。

 ふたつの法則の争い

 自身の判断によって、犯人と被害者の両方の命を奪う結果をもたらしてしまい、休暇をとるよう命じられた刑事、薮池五郎。そんな薮池が車を飛ばしてたどり着いた山奥では、一本の木をめぐって人々が対立していた。「カリスマ」とよばれるその木は、生存のために森全体を枯らすという。カリスマとそれを取り巻く人々との邂逅は、藪池に何をもたらすのか。

 「世界の法則を回復せよ」。それが藪池が結果的には殺すことになってしまった犯人の遺したメッセージ。それが多分、藪池の行動を大なり小なり規定し、そして当然のことながら物語全体を規定する。『カリスマ』は、世界の法則が回復される物語、として読むことができる。

 世界の法則とはなにか。「カリスマ」を守ろうとする青年、桐山直人によればそれは、強いものが生き、弱いものが殺されるという法則。だから桐山の「世界の法則」が貫徹すれば、「カリスマ」が森を圧倒し生き残る。それは奇しくも、「両方を救いたい」と願いながら結果として両方を殺してしまった藪池の行動の直截的なアンチテーゼとなっている。

 一方、桐山と敵対し「カリスマ」を葬ろうとする者たちの「世界の法則」は、彼らの口からは直接は語られないけれども、おそらくは、歴史的に正統なものが生き残るというものだろうと思う。古来よりそこにある森こそ、未来においても生き残るべきものであり、大陸からもたらされたという「カリスマ」は、彼らにとっては排除すべき異物。このように、「カリスマ」をめぐる対立は世界の法則をめぐる対立なのだ。

 弱肉強食か、歴史により担保された正統性か。ふたつの「世界の法則」は若い不可能であり、衝突するしかない。結局「カリスマ」は奪われて燃やされ、桐山が敗北することになるが、これもまた桐山にとっては「世界の法則」の貫徹に他ならない。数で劣り「軍隊」をもたない桐山が、敵対者を打ち破れないのは弱肉強食の原理からいって必定。ゆえに「カリスマ」を失った桐山はそのゲームから、それまでの異常ともいえる執着心からは信じられないほど、あっさり身を引くのである。

 

美しく燃える街

 土着的な森が異物を放逐し、「世界の法則」は回復されたのか?否。それがほんの一時的な勝利であることは、その後の展開が裏書きしている。

 藪池はなぜか枯れた巨木を新たな「カリスマ」と名指し、事態は混沌となる。藪池の名指しというただそれだけの根拠によって、枯れ木は「カリスマ」となり、そして人々はまたそれを巡る戦いに身を投じ始めるのである。

 藪池は、「カリスマ」対「森」という二項対立を無化し、ただ1本1本の木があるだけだ、と指摘する。「カリスマ」をめぐる人々は、それにどういう態度をとるのであれ、外からきた「カリスマ」と、爾来そこにある森、という対立軸を自明のものとして「世界の法則」を争っていた。藪池はそれの対立軸を破壊し、それゆえただ一人世界の法則をめぐるゲームの勝者となったのである。

 かくして「世界の法則」などないという法則が回復され、それとパラレルなかたちで街は、いや世界は燃え始める。その美しく燃える街へと藪池は帰ってゆく。世界の法則が回復されることで、逆説的にそれが失効してしまったカオス。しかしそこにこそ、人の生きる道があるのだと言わんばかりに。

 

 とりあえずこんな感じで感想を書いたのですが、なんかよくわからない、というのが正直なところ。ロングショットがいやに多くてみていて大変疲れました。また気が向いたら再見しようかと思います。

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