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魔法なき世界のために――『メアリと魔女の花』感想

劇場版 メアリと魔女の花 ちらし

 『メアリと魔女の花』をみました。以下感想。

  赤い髪の少女。燃え上がる空の上の城。何やら大事らしい種を持って、少女は逃げる。箒が空を駆ける。爆発する城。種は森へと落ちてそこに根付き、枝葉を伸ばす。おそらくはその数十年後、その森にほど近い村に、赤い髪の少女メアリがやってくる。彼女はその植物と、古めかしい箒に導かれ、魔法の世界に足を踏み入れる。

 スタジオジブリから独立してスタジオポノックを立ち上げた米林宏昌監督による、同スタジオ第1回作品は、きわめてオーソドックスな行きて帰りし物語。少女は日常世界を抜け出して異界に足を踏み入れ、そして冒険の末に日常へと帰還する。スタジオジブリから独立しているとはいえ共通するスタッフが多く、ルックは近年のスタジオジブリ作品と強い連続性を感じさせ、日常世界と魔法世界、ともに密度のある背景美術が世界を形作り、そこをキャラクターが表情豊かに動き回る。

 それに加えて物語の構造は『千と千尋の神隠し』的であり、飛行の快感は『魔女の宅急便』と通じるものがあり、魔法のイマジネーションは『ハウルの動く城』を彷彿とさせるなどなど、過去のジブリ作品、宮崎駿監督作品のコラージュ風味の要素が散りばめられ、「ジブリの継承」みたいなものを強く意識しているのでは、という印象すら受ける。スタッフロールの「感謝」によっても、その文脈は強化されている。

 とはいえ、そうしたスタジオジブリとの「連続」と裏腹に、物語は「切断」というモーメントを強く感じさせもする。主人公のメアリは「夜間飛行」の力で魔法を一時的には使えるようになるが、彼女自身は魔法の力を持たないし、クライマックスにおいてもその魔法の力で物事を解決するわけではない。もはや魔法の力を失った少女が、それでもなお約束を果たすため走る。彼女の姿に、宮崎駿という天才の魔法の力が失われた後に、それでもアニメーションを作らなければならない責を負った米林監督はじめとするクリエイターの姿を見立てることも可能ではなかろうか。その意味で、『メアリと魔女の花』は魔法を使えるようになった少女のお話ではなく、むしろ魔法なき世界でそれでも生きていかなければならない、魔法なき世界でその残滓を受け継いで生きる少女の物語なのだろう。

 

 スタッフロールの「感謝」の文字が、そういう類の内輪の文脈を想起させるのだが、それはそれとして、「魔女の花」をめぐる寓話は、これも極めて陳腐な見立てだが、私たちの生きるいま・ここを規定する出来事を想起させずにはおかない。この映画がもし2010年に公開されていたのなら、そういう文脈は僕の意識には上らなかっただろうが、現にこの『メアリと魔女の花』は2017年に公開されているわけで、そこで制御を失い暴走する技術の物語が語られたら、それはもう想起する出来事は一つでしょう。

 その原子力の寓話としてみたとして、『メアリと魔女の花』のお話は極めてオールドファッションな装いで、取り立てて目新しいものはなかったように思えるのだが、これはぼくの読解力の貧困故であるかもしれず、そもそもそういうものを求めて映画館に足を運んでいるわけじゃないので、それが作品の価値を減じているわけではない。とはいえ寓話を語る手つきの直截さというか、不器用な感じが気になったのも確かで、寓話としての想像力は昨年スクリーンを賑わせた『シン・ゴジラ』、『君の名は。』とくらべるとあまりにお行儀が良すぎるのではないか、という感じもしました。

 とはいえ、オールドファッションな装いでスタジオジブリを継承しつつ、しかしその「魔法」との切断のモーメントを含みこんだ『メアリと魔女の花』が僕は嫌いではなく、この物語の先に、魔法の重力から解き放たれた物語がいつか語られることを期待しています。

 

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【作品情報】

‣2017年/日本

‣監督:米林宏昌

‣脚本:米林宏昌坂口理子

▸原作: メアリー・スチュアート 『The Little Broomstick』

‣出演