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アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か? ――モダニティの帰結』メモ

近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─

  アンソニー・ギデンズ著、松尾精文・小幡正敏訳 『近代とはいかなる時代か? ――モダニティの帰結』を読んだのでメモ。

  ギデンズの認識の基礎にあるのは、現代はポスト・モダン状況(ポスト・モダニティ)にあるのではなくて、モダンの延長線上、モダンが徹底化した状態にある、ということ。

われわれは、ポスト・モダニティの時代に突入しているのではなく、モダニティのもたらした帰結がこれまで以上に徹底化し、普遍化していく時代に移行しようとしているのである。 *1

 モダニティはあきらかにそれ以前の時代とは異なっている。それはたとえば、社会の変動の速度において、またその変動の拡がりにおいて、モダニティは近代以前の社会に対して際立った不連続性をもつ。モダニティ以前の状況と比べて変化の速度は極めて速く、その拡がりは地球全土をおおうほどに広大である。ゆえに、モダニティを特徴づけるものとしてグローバル化があり、ギデンズもそれを重要なモダニティの特色であると見立てている。

 さて、そのモダニティのダイナミズムを生み出すのはなにか。ギデンズは以下の三点が重要なのだという。

  1. 時間と空間の分離
  2. 社会システムの脱埋め込み
  3. 社会関係の再帰的秩序化と再秩序化

 「時間と空間の分離」とはすなわち、移動手段の発展などで空間を移動することが容易になったこと、また時計の普及によって時間があらゆる場所で均一に図られることになったことを通して、時間と場所が豁然と区分されるようになったことを指す。

 そのことが、2点目にある「社会システムの脱埋め込み」を生じさせる原因ともある。前近代においては、社会システムは顔の見える、ローカルな脈絡のなかで機能するものであった。それが、モダニティにおいては「時空間の無限の拡がり」のなかに再構築される。人びとが組み込まれる社会システムは、もはや顔が見えるローカルな関係性を飛び越え、より抽象的な次元に構築されるようになるわけである。

 それはつまり、もはや顔の見えないシステムに人々が依存し、それがきわめて当然のことになる、と言い換えられるだろう。その顔の見えない社会システムへの信頼をギデンズは非常に重要視しているようで、それがモダニティの基礎を作っていると考えているのではないかと思う。

≪近代的制度の本質は、抽象的システムにたいする信頼メカニズムと≫、とりわけ専門家システムにたいする信頼と≪密接に関係している≫、というのが私の立論の要点である。p.107

 蛇口をひねれば水が流れ、クリックひとつで品物が家に届く、そういう生活はシステムへの信頼がなければ成り立たないわけで、そのことをモダニティの特質として重要視するこの議論には非常になっとくという感じ。

 そして三番目に挙げられた「社会関係の再帰的秩序化と再秩序化」だが、これもまたギデンズのモダニティ論のなかで重要な位置を占めるものだろう。再帰性とは、それまでの行動などの結果をもとに、自身の行動の指針を決定していく、そういうあり方のこと(だと思う)。

近代という時代の到来とともに、再帰性は異なる特質を呈するようになる。再帰性は、システムの再生産の基盤そのもののなかに入り込み、その結果、思考と行為はつねに互いに反照しあうようになる。*2

 再帰性は、前近代においてもあったのだけれど、モダニティにおける再帰性はそれとはまったく質が違うのだとギデンズはみる。前近代においては再帰性はあくまで伝統の確認と正当化ということを目的としていたのだが、モダニティにおける再帰性は進歩の観念によって、たえず伝統的なものを疑い、再構築するようなかたちで働く。

 そのような再帰性のはたらきに一役買うのが、社会学をはじめとする学問で、社会学はそのようなモダニティの特質と関係を持たずにはいられない、というのもギデンズのモダニティ論が強調する点だろうか。

 

 はい、さしあたってはこんな感じで、社会システムに対する信頼、そして再帰性の概念というのがギデンズのモダニティ論の骨子なのではないかなーという印象。再帰的近代の議論を確認しておくために読んだんですが、信頼をめぐる議論を知れたのは収穫でした。

 

追記

  再帰性の問題はこっちでより深く論じられていた感じ。


 

社会学 第5版

社会学 第5版

 

 

 

揺れる大欧州――未来への変革の時

揺れる大欧州――未来への変革の時

 

 

*1:p.15

*2:p.55

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