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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

異端者たちは何処にゆくのか――『サムライチャンプルー』と『幕末太陽傳』、あるいは異端の時代劇

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 『サムライチャンプルー』についてぼんやり考えていて、とりあえずとりとめはなさそうですが書き留めておきます。

 『サムライチャンプルー』と『幕末太陽傳

 先日、図書館で借りてきた大山顕佐藤大速水健朗『団地団』をぱらぱらめくっていまして、これが「団地」を扱ったフィクション(主に映画・アニメ)を肴に鼎談をやるってな本なんですが、そういう団地映画論・団地アニメ論以外にも、主にアニメ脚本家である佐藤大氏の口からいろんな作品の裏話が披露されていて、本筋から離れてそっちのほうでも発見があったわけです。

団地団 ?ベランダから見渡す映画論?

団地団 ?ベランダから見渡す映画論?

 

  そのなかでもとりわけ印象に残ったのは、佐藤氏が脚本としてかかわった『サムライチャンプルー』の1話冒頭、現代日本から遡って江戸に巻き戻る演出は、川島雄三監督の『幕末太陽傳』のオマージュである、ということ*1。後者も大変有名な映画だし、たぶん裏話で披露されなくともわかる人にはもうわかってたんでしょうが、恥ずかしながら僕は『幕末太陽傳』は未見なので気付けるはずもなかったというわけです。

 


 このデジタル修復版の予告映像なんかでも、ちょっと現代の品川が写っている場面が挿入されているわけですが、現代の品川が冒頭に配され、ラストで再び現代が写される(時代劇のセットを抜け出したフランキー堺が現代の品川を疾走する)、という構成だったようですが、そのラストは制作会社の反対にあい結局実現されなかった、との佐藤氏は語っていて、こちらもwikipediaに記述があるくらいの超有名エピソードのようだ。

 一方、『サムライチャンプルー』のラストも、実際に撮影された『幕末太陽傳』がそうであるように、現代にサムライが登場したりはしない。彼らの生きた時代で、彼らが歩き続けるさまが写し続けられ、物語は幕を閉じる。見かけのうえで、実際に作品として立ち現れた『サムライチャンプルー』と『幕末太陽傳』は同型の構図(現代から始まり、しかし現代には帰らない)をもつ。いちおう念のため補っておくが、なにも僕は『サムライチャンプルー』も本来はそのようなラストが構想されていたのではないか、ということを言いたいのではない。僕がここで両者の相似を確認したのは、『サムライチャンプルー』を考えるちょっとした補助線になるのでは、と考えるからだ。

異端の時代劇として

 その補助線を機能させるためには、『サムライチャンプルー』がどのような物語だったのかを改めて確認しておく必要があるだろう。『サムライチャンプルー』は、ムゲンとジンの二人のサムライが、「向日葵の匂いのするサムライ」を探す少女フウの旅路につき合わされる、江戸時代を舞台にしたロードムービーであり、その舞台設定から時代劇という範疇にカテゴライズできる作品でもある。

 ロードームービー、時代劇というある種の類型的な意匠をまといつつ、しかし『サムライチャンプルー』はそのような類型から逸脱する。その逸脱を数え上げればきりがないだろうが、もっとも特徴的なのは江戸時代には存在すらしなかった(そういうことをいったらあらゆる劇伴はそうだともいえるが)ヒップホップをBGMとして前面に押し出していることだろう。ヒップホップカルチャーと時代劇という組み合わせの妙はこの作品を語るならば避けては通れまい。

 加えて、そのヒップホップカルチャーと同様に、いやそれ以上に、『サムライチャンプルー』を時代劇的な類型から逸脱させているのは、物語の中心に、あるいはそこかしこに、社会の周縁に生きた、類型的な時代劇からは排除されてきた人びとを登場させたことだろう*2

 琉球出身のムゲン、師匠殺しのジンという二人の主人公は、どちらもサムライの正統な価値観においては周縁化された人間であるわけだし、蝦夷や異人、そして隠れキリシタンなどの意匠が散りばめられたこの『サムライチャンプルー』は、そのような時代の異端者たちを取り上げた、いわば「異端の時代劇」と言いうるのではなかろうか。この異端の時代劇の系譜に、網野善彦の影響を色濃く受け、女性と病人のコミューンを描いた『もののけ姫』や、まさにその異端者の名をタイトルにもつ『ストレンヂア 無皇刃譚』などの作品が想起されるが、それについてはまた機会を改めて語りたい。

 そうした異端者たちが、絶体絶命の危機を乗り越え、そして何処かへ歩いてゆくラストのシークエンス。MIDICRONICAの"san francisco"の響きにのって、彼らは何処かへと向かう。しかし彼らは我々の「いま」にはたどり着くことがない。異端者たちが歴史の闇のなかに消え去り、私たちは彼らのかすかな痕跡のみを知るように。『幕末太陽傳』において、フランキー堺は現代にまでたどり着くことはなかったわけだが、その疾走の不可能性をこそ反復し、異端者たちの生を逆説的に刻み付けたからこそ、『サムライチャンプルー』のラストには筆舌しがたい余韻が漂うのだろうと、思う。

 

 

団地団 ?ベランダから見渡す映画論?

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 『団地団』、上記のエピソード以外にも団地アニメにまつわるかたりなんかがとりわけ面白くて、『新世紀エヴァンゲリオン』と『耳をすませば』における団地描写の対比、そして『耳をすませば』の最高のシークエンスは吉田健一が団地に重力を見出したあの場面なんだよ!とか、あと『放浪息子』のリアルさとか、いやとにかく勉強になったので、強くお勧めです。

 

 

 


 

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*1:p.99

*2:僕はまったく時代劇に明るくないので、以下の議論はまったくの的外れであるという可能性がある。もしそうであればコメント等でご指摘願いたい。

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