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現実の書き割り、書き割りの現実―—アニメ『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』感想

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 このところ、アニメ『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』を楽しくみていました。以下、感想。

  ある日、唐突に気が付いてしまった。「わたし」は現実世界の不幸な事故で命を落とし、生前にプレイしていた乙女ゲームのキャラクターに転生してしまっていることを。そしてそのキャラクターが、主人公などではなく、主人公の恋敵として設定された悪役令嬢であり、自身の行為の報いとして破滅を迎える運命にあることを......。破滅の運命を変えるため、少女が奮闘する。

 「小説家になろう」に掲載された小説のアニメ化。アニメ制作はSILVER LINK.異世界転生ものの一類型というべきか、また悪役令嬢ものという独自の類型とみなすべきかわたくしはようわからんが、大塚英志のいうところの典型的なキャラクター小説である、という感じを受ける。変わり者の少女が次第に周囲を変えていくというモチーフは、たとえば『赤毛のアン』などを想起してもよいだろうし、その意味ではある種の少女小説の文脈のなかに位置付けてもいいのかもしれない。

 「乙女ゲーム」の世界という設定を利用して、類型的・記号的なキャラクターを効率よく配置し、主人公がキャラクターたちと関係性を築いていく展開は、ドラマ上の大きな葛藤や負荷がなくただただ楽しい。その楽しさは、主人公カタリナ・クラエスを演じる内田真礼に拠るところも大きいだろう。作劇上の葛藤やストレスのなさを、退屈さではなく楽しさへと接続しているのは、とにかく内田の発するエネルギーだと思うから。

 さて、個人的におもしろくみたのは、終盤、闇の魔法によって意識を失ったカタリナが、夢の中で現実世界へと回帰し、そこで能動的に「乙女ゲームの世界」を「ほんとうの世界」として選択する、という展開。ここに『涼宮ハルヒの消失』における「不思議なことがある世界/ない世界」の選択を迫られるキョンのことを想起したのだが、『消失』においては選ばれる世界はどちらも表面上はほとんど同じであるのに対し、この『はめふら』では現実世界と天秤にかけられるのが「乙女ゲームの世界」という、記号的な世界、いってしまえば書き割りのごとき世界である点に大きな相違を見出せる。

 この『はめふら』において、たとえば現実世界の挿話をほとんど描かないとか、あるいは「乙女ゲーム世界」とはまったく異なる手触りの背景で描くとか、様々な手段は考えられたと思うが、実際には、少なくとも画面の上では、両者の差分は極端なものではなかった。現実世界の両親や友人もおおむね記号的なキャラクターとして立ち現れていた。故に、「現実世界ではなく乙女ゲームの世界で生きる」という世界は、「稠密な現実世界からの逃走」ではなく、どちらも等しく書き割りであるならば、「いま・まさに生きられる世界」こそを選ぶのだ、という雰囲気を帯びる。それは、現実世界の豊かさに対して「虚構世界もまた同様に豊かなのだ」と対置する戦略とはまったく異なる。書き割りの世界に対して、決して無条件にその豊かさを誇ることのできない場としての現実、それが現代のキャラクター小説の可能性の条件なのかもしれない。

 プロットでいえば、カタリナと同じく破滅の運命の背負うキャラに転生した「現代人」を配置して、二人のいずれかが破滅しなければならない...みたいなあれを妄想したりしたんですが、桜坂洋オール・ユー・ニード・イズ・キル』ですね。「ゲーム的リアリズム」など知ったことか、というこの『はめふら』の力強さよ。

 

 

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  『涼宮ハルヒの消失』、やっぱりターニングポイント的なあれだと思うんすね、個人的に。

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