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「答え」への欲望とその挫折―『ブロークン・フラワーズ』感想 

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 ジム・ジャームッシュ監督『ブロークン・フラワーズ』をみた。ジム・ジャームッシュ監督作品をみるのは『リミッツ・オブ・コントロール』以来、2作目。『リミッツ・オブ・コントロール』の方が公開は後なので、意図せずさかのぼってみてる感じになってますね。以下で感想を。

 ただ淡々と旅をするビル・マーレイ

 名前を明かさない元ガールフレンドから、「20歳になる息子がいる」との手紙を受け取った老いた色男=ドンファンドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)が、隣人のウィンストン(ジェフリー・ライト)に発破をかけられるかたちで、アメリカの各地にいる4(5?)人のガールフレンドを訪ね歩く、というのが本作の筋。

  「自分こそ偉大だと思う男を墓場に送れ」という指示を受けた殺し屋、孤独な男(イザック・ド・バンコレ)が、標的を探してスペインをめぐる『リミッツ・オブ・コントロール』と、かなりモチーフが似ている。主人公が色男か殺し屋か、舞台がアメリカかスペインか、みたいな細かい違いは数あれど、なにかを探してまわるロードムービーという点では同型。その淡々とした描き方も、かなり重なる部分がある。

 特に主人公の表情。どちらも作品でも旅する主人公の表情の変化があんまりなくて、いっつもおんなじ顔をしている気がする。でもビル・マーレイのそれは、変化が乏しいわりになんだか妙な親しみやすさがあるというか。序盤のウィンストンとのやりとりで、嫌々ながらも強引なウィンストンに乗せられて、いつのまにやら旅に出させられてしまうシークエンスをみているから余計そう感じるのかもしれないけど、意外と愛嬌があるというか。孤独な男とは大違い。まあ彼は殺し屋だしね。

 そんなわけで両者とも淡々と話が進んでいくわけなんだけれども、『リミッツ・オブ・コントロール』ではかなり退屈さを感じたのに、『ブロークン・フラワーズ』は意外と退屈せずに見れた。うーん、いま『リミッツ・オブ・コントロール』を見直したら意外と退屈しないんだろうか。

 

オープン・エンドの謎の爽快感

 で、そうして旅をした主人公は、物語の結末で求めていた答えを得ることはない。誰が手紙を出したのか、息子はどんな人物なのか。息子らしき人物はラスト間際で顔をちらっと見せたりもしたけど、あれが息子なのか、それとも主人公の目にはその男がまさに「息子のように見えた」だけなのか、それは明確な答えなどない。そして彼の母親が結局誰なのかも、決定的な証拠がない以上、明示されているとは言い難い。そうした「わからなさ」を突き付けられた主人公を、ぐるっとカメラが映して物語は幕を閉じる。

 この物語は、なにがしかの「明確な答え」を求める欲望の挫折の物語、として読むことが可能なんじゃなかろうか。かつてのガールフレンドたちと会ったとき、jpンストンは決して直接的には自分の知りたいことを尋ねない。「俺との間に子供はいるのか?」と聞くのがもっとも答えに辿りつく簡潔な道筋であるにも関わらず。

 そうしてガールフレンドを巡る旅を終えたジョンストンは、ひとりの青年に出会う。自分の息子が纏っているに違いない(とジョンストンが思いこんでいる)「ピンク」という符号やらなんやらから、ジョンストンはこの青年こそ自分の息子であるとの確信を抱くに至る。しかしそれを告白した瞬間、彼と青年との関係は一気に崩壊し、あとには茫然とした彼だけが残される。ガールフレンドの前で飛び込もうとして果たせなかった真実へ、まさに命がけの跳躍で以て辿りつかんとしたジョンストンの欲望は、見事に裏切られる。そして、360度カメラに映された彼は、なんらかの境地に至ったんじゃなかろうか。それがいかなる悟りだったかはさておくとしても、その瞬間こそ、ジョンストンにとってのひとつの旅の終わりであり、そして新たな人生の始まりでもある。そんなことを思ったりしました。

 ジム・ジャームッシュ監督の作品、お洒落なのでもっと見ていきたいなと思いますね、はい。

 

【作品情報】

‣2005年/アメリカ

‣監督:ジム・ジャームッシュ

‣脚本:ジム・ジャームッシュ

‣出演

 

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