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此岸で無様に「やり直す」こと——アニメ『無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜』感想

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 『無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜』をみました。あなどっていてすみませんでした。たいへん誠実に制作されていて腰抜かしました。以下、感想。

 トラックに轢かれて一生を終えたかに思われたひきこもりの男は、気付いたら異世界の赤ん坊として生まれ変わっていた。中世ヨーロッパ風の世界で魔術の才能を磨きながら成長した元無職ひきこもりの青年は、異世界で過酷な運命と対峙する。

 理不尽な孫の手によって2012年から「小説家になろう」に連載され、書籍化されたライトノベルを原作とする。読者からの高い評価を知ってはいたが、2021年に新たな制作会社を立ち上げて満を持してのアニメ化が、ここまで稠密な異世界をたちあげ、そして物語は極めて誠実なビルドゥングスロマンであったことに、正直強い驚きを覚えました。アクション作画は要所要所でさえわたり、また魔法発動シーンのセンス・オブ・ワンダーがありありと伝わってくるのが素晴らしい。

 杉田智和によるモノローグは『涼宮ハルヒの憂鬱』の記憶を喚起するが、それによって主人公の成長譚をメタに俯瞰する視点が導入され、我々と異世界とを架橋する手助けをしている。女性キャラクターを露骨に性的なまなざしに晒すその語りは上品とはいえないが、いまさら「少年の成長譚」というフィクションの超王道を、決して若くないであろう想定読者に届けるためのある種のエクスキューズなのだろう。「異世界転生」という、ある種のテンプレートともいえる仕掛けも、同様の機能を果たしていると思うが、しかしそのような照れ隠しの所作が作品としての格を下げているとも思う。わたくし個人としては、真にすぐれた作品はそうしたエクスキューズや照れ隠しなどによる支えを一切必要としないと信じるし、この物語はそのように語られる資格を十二分に持っているとも思う。

 とはいえ、それがこの作品の価値を減じることなど些細なことだ。そうしたエクスキューズこそ、慰めを必要とする魂の持ち主へとこの作品を届けるために要請されたものだったろうから。こうした道具立てによって、現世から遠く離れた場所で全能の力を発揮する男の物語も描けたはずだが、しかしこの作品はそうした安易な慰めを拒否し、優れた資質をもった人間が努力を積み重ねてなお、ままならない物事が降りかかることこそが人生なのだと教える。そのままならなさを引き受けてなお、もう一度「やり直せる」はずだとこの物語は主張するのである。

 長井龍雪がコンテを担当した17話「再会」はまさにその「やり直し」を(転生というメタな次元ではなく)ベタな次元で遂行する、作品そのものをクリティカルに象徴する挿話だったといっていいだろう。彼岸で華麗に生まれ変わるのではなくて、此岸で無様に「やり直す」こともできるということ。わたくしたちは何も特権的な力などなくても「やり直せる」はずなのだという祈り。すり減った魂をこういう仕方で励ますことこそ、真の誠実さのなせる仕事だろうと思う。

 かつて誰だったか、『ハリー・ポッター』は最終的に魔法の力を失い、里親のダーズリー家と和解してかくもおろかしきマグルの世界と折り合いをつける、そういう結末こそが必要だったのだ、と書いていて、わたくしはそれはほんとうにその通りだと思う。子どもを対象に描かれたフィクションが伝えなければいけないのは、彼岸の異世界の魅力ではなくて、此岸のままならない現実とどうにか折り合いをつけてゆくための勇気とかそういうものだと思うから。『ハリー・ポッター』がそのような結末をもたなかったのは周知のとおり。対して『おジャ魔女どれみ』のえらさよ!

 一方で、じゃあ若くない人間に向けて語られたであろうこの物語の使命は、いったいなんなのか?少年あるいは青年の旅の終わりがわたくしたちに手渡しうる最良のものとはいったいなんなのか?そのことにこの語り手が見出す答えが、いつの日にか手渡される日まで、わたくしもぼんやり考えてみようと思います。

 

 

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おなじなろう系でも、『はめふら』は『無職転生』とまったく対照的なスタイルで驚きますわね。異世界の書き割り性に居直った『はめふら』のスタイルはそれはそれである種の正解とも思うけど。

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