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喪失、災い、旅立ちの荷物――『すずめの戸締り』感想

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 新海誠監督の最新作、『すずめの戸締り』をみました。『君の名は。』、『天気の子』を経て、それらの作品の主題系を継承し、さらにむき出しの作家性が露出した、そういう映画だったと思います。以下、感想。物語上の重要な仕掛けに触れています。

 少女は夢をみていた。草原と廃墟の夢。母を探してさまよう。あてどなく心細げに歩く。誰かに出会う。そうして目覚める。生まれた地を離れ、母とも死に別れて叔母と暮らす現実にもどる。日本列島、現代。宮崎県の海沿いの街に住む高校生の少女、岩戸鈴芽は、登校中に不思議な雰囲気をまとう青年と出会う。廃墟を探しているという青年が気になり、そのあとを追って山上の廃墟にたどり着いた鈴芽はそこで不可思議な扉をみつける。廃墟のただなかの扉を開けると、そこには異界――ある種の人々は「とこよ」とよぶ――が広がっていた。ひとり廃墟で困惑する彼女は、地面に刺さった要石を引き抜いてしまう。それが大いなる災いを招くとも知らずに。呪いの力で椅子に変えられてしまった青年とともに、災いを防ぐため鈴芽は日本列島を駆け巡る。

 新海誠監督の最新作は、災い――それは地震として立ち現れる――を防ぐため、偶然にもその引き金を引いてしまった少女が九州、四国、本州を旅して災いをもたらす「扉」を閉じていくロードムービー。これまで東京をはじめとする都市、あるいは東北など非都市的な風景を画面に映し出してきた新海とコミックス・ウェーブ・フィルムは、ここでもその力を遺憾なく発揮し、日本列島の街が印象的に描写される。

 高校生の少女と椅子が偶然出会った人たちに助けられて旅していく序盤はどう考えてもご都合主義そのものなのだが、極めてテンポよく進行し勢いでごまかしてしまう。それぞれの時間も短く、「いい人すぎる」感じが鼻につく前に次のパートに進行するこのテンポ感は、『君の名は。』と『天気の子』を経て新海が自家薬籠中の物とした時間感覚だろう。ロードムービーというモチーフは新海作品の新機軸だが、これまでの蓄積がいかんなく発揮されている。

 そうした演出の水準以上に、物語上の主題という点で、『君の名は。』以来の、あるいは『星を追う子ども』・『言の葉の庭』から延びる線がこの『すずめの戸締り』を規定している。新海誠のフィルモグラフィをきわめて乱暴に整理するなら、やはり『君の名は。』以前以後で区切るほかないだろう。

 それは無論、莫大な興行収入を叩ぎだしてメジャー化する以前以後という区切りではない。『君の名は。』以前、『秒速5センチメートル』がまさしく典型といっていいだろうが、それは喪失と和解し、受容することが主題だった。その喪失との和解にとって、「フィクションがいかなる役割を果たしうるか」という問いが前景化し、喪失とフィクションをめぐる問題系が大きく浮上したのが『君の名は。』以後なのだ。

 巨大な大災害による死という出来事――そこに東日本大震災への目くばせがあったことは明白だろう――に対して、意識の入れ替わりとタイムリープという「フィクション」を介在させ、それまでは喪失をもたらすものとして立ち現れてきた時間的・空間的な距離を超え、少年と少女を「記憶」を通して結び付けてみせた『君の名は。』。少女の命と都市の命運とを直結させる「フィクション」を梃子に、喪失のあとにもそこでしぶとく息づく人間たちの無節操な強靭さを大丈夫なのだと祝福した『天気の子』。

 『君の名は。』も『天気の子』も、作品に対して一定の倫理的な批判がなされたものと記憶している。とりわけ『君の名は。』は、人の死を「なかったこと」にしてしまう想像力に対して少なからざる拒否反応があったが、そうした反応をもたらしたのは、やはり、東日本大震災の記憶、その手触りが生々しく残っていたが故ではなかったか。東日本大震災から11年の時が経った。記憶の濃淡も、その手触りも、人によってまだらであろう。しかしそれが薄れたかといえば、やはり、否と言わざるを得ない。そういう重力を強く感じる。

 だからこそ、この『すずめの戸締り』で直接的に東日本大震災という出来事とそれをめぐる記憶が扱われたことに、大きな驚きを感じたのである。これは、新海誠という名前がほとんど無条件に「観客を劇場に呼べる」からこそ許された挑戦だっただろう。東日本大震災をモチーフにしたアニメーション自体はもちろんこれまでもあった。昨年公開された『岬のマヨイガ』や『フラ・フラダンス』など、生々しい記憶と誠実に向き合う作品だった。

 それらと比べて、この『すずめの戸締り』は、非倫理的と指弾されるさまが容易に目に浮かぶような仕方で、過去の大災害を扱う。なぜなら、この作品世界では地震は「扉」がひらいて巨大な「みみず」がのたくることで起こるのであり、「閉じ師」とよばれる存在が開きかけた「扉」を締めることで未然に防ぐことができるというのだから。そして、大正年間の関東大震災もまさにその「扉」によってもたらされたのだと言及される。無数の人の命を奪った自然災害が人の手で防げたもの——あるいは人の営為の結果として起こったもののように読めてしまう。それが作品のなかで明示的に言及されているわけではないが、こう読めてしまうのだ。東日本大震災は、東北地方に住む人々がかつて栄えた場所を廃墟にしてしまった結果おこり、そして防げるかもしれないのに人為的なミスで防げなかった、と。

 これが「わたし」と「喪失」とを「フィクション」によって接続するためのロジックであることは理解できる。「セカイ系」的なものとの親近性をしばしば指摘された『天気の子』が「セカイ系」たるゆえんは、「彼女の命」と「セカイの命運」がダイレクトにつながるその構造だったことを想起すると、この『すずめの戸締り』もそうした想像力を継承しているといえるだろう。しかし、『天気の子』では世界の破局は降りやまない雨と東京の水没という、あくまで架空の出来事だった。一方、『すずめの戸締り』のそれは、現実におこった、多くの人の命を奪った災害である。それを「人の力で防ぐことができたかもしれないもの」として表象することは果たして許されるのか。このことに、うまく答える仕方は思いつかない。だからわたくしは、なんとなく胸になにかが刺さったような気持ちで劇場を出ることになったのだ。

 新海誠は極めてクレバーな作家だと思う。だからそうした倫理的な非難を引き受けて、東日本大震災という出来事を、むき出しのかたちで表象しなければならないという使命感――それもある種の倫理なのだろうと思う――によってこの物語は語られたのだ、とも思う。その挑戦の成否を、わたくしはうまく判断できずにいる。それがこの映画がわたしたちに手渡した荷物なのかもしれない。その重い手触りを、いまずっしりと感じている。

 

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「知り合う前に会いにくるなよ、わかるわけないだろ」のせりふを引くまでもなく、ほんとうに大事なものは既に受け取られ、祝福されているんですね、『君の名は。』以降の新海誠の作品世界にとっては。

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彼岸から死者を連れ帰ってくるの、もう『星を追う子ども』もついに突破してみせたか…という気もち。

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 要石となっている「右大臣」・「左大臣」がどのような来歴をもつかつまびらかにされないが、劇中で青年が要石の役割を押し付けられてしまう展開は、いまは猫のような存在であるダイジンたちはかつて人間——それも喋り方や思考の短絡性から幼い子どものようにも思える——と連想するのはそれほど突飛なことではないと思う。だとすればふたたび大臣たちにその役目を負わせるラストは、『天気の子』から後退しているようにも思えるんだが、しかし選択の結果が東京水没という架空の災害であった『天気の子』に対して、大地震という結果をもたらす『すずめの戸締り』では、どう考えても作品世界でそれをおこしちゃならねえだろ、とも思う。うーん、どうなんすかね。

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公開前、監督が『魔女の宅急便』をみておいてほしいといっていたけれど、「少女が見知らぬ街で仕事の手伝い」というのはたしかに『魔女の宅急便』的だし、「ルージュの伝言」の参照できちんとうれしくなってほしいというのもわかるんだけど、まあそこまで。。。という印象でした。むしろワード選びの村上春樹ぶりのほうが強烈だったかも。

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北に向かってドライブする展開、近年の濱口竜介監督作品、なんだよな。

(追記)はてなブックマークで「すべての地震がミミズのせいじゃないのでは?」とコメントがありましたが、パンフレットの監督インタビューを参照すべし!おっしゃりたいことは理解できるし作中でも明示はされとらんけど、ミミズのせいじゃない地震がある世界ならそういう地震を描かないといけない、だから作中の地震=すべてミミズのせい..とするのは推論可能かも..ちょっと好意的にとりすぎか?

 

 

 

『風の電話』未見のため参照項にしていることに気づけず、天皇制をめぐる想像力を読み込むこともできんくて、十分に読めてなかった(十分に読むってなによ)こと、くやしい!

 


 

【作品情報】
‣2022年
‣原作・脚本・監督:新海誠
‣キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督: 土屋堅一
美術監督: 丹治匠
‣音楽:RADWIMPS、陣内一真
‣アニメーション制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
‣出演
岩戸 鈴芽 - 原菜乃華、三浦あかり(幼少時代)
宗像 草太 - 松村北斗SixTONES
ダイジン - 山根あん
岩戸 環 - 深津絵里
岡部 稔 - 染谷将太
二ノ宮 ルミ - 伊藤沙莉
海部 千果 - 花瀬琴音
岩戸 椿芽 - 花澤香菜
芹澤 朋也 - 神木隆之介
宗像 羊朗 - 松本白鸚
ミキ - 愛美