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見果てぬでこぼこのユートピア────『メガロポリス』感想

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 『メガロポリス』をみました。いやはや…。以下、感想。

 近未来、アメリカ共和国のニューローマ。都市の再開発をめぐり、若くして新素材を発見しノーベル賞を受賞したカエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)と、元検事で市長に就任したばかりのフランクリン・キケロジャンカルロ・エスポジート)が対立する。大富豪、クラッススジョン・ヴォイト)の甥でもあるカエサルは、妻を亡くした喪失感を抱えており、従兄弟のクロディオ(シャイア・ラブーフ)も遺産を狙って怪しげな策動をみせていた。カエサルは自身の理想都市を現実のものとすることができるのか。

 『ゴッドファーザー』、『地獄の黙示録』のフランシス・フォード・コッポラが、40年の構想を経て、私財を投じてなんとか完成までこぎつけた、もうこれが日本で劇場公開されたという事実を寿ぎたくなる、いわくつきの逸品。昨年公開されたアメリカ合衆国では興行的にも批評的にも成功とは言い難い結果だったと伝わってくるなかで、恐る恐る劇場に足を運んだわけだが、老境に至った巨匠のイマジネーションが自在に展開し、観客など知ったことかと振り落とす、異形ともいえる映画であった。

 理想の具現化を目指す建築家を主役とした映画でいえば、今年公開された『ブルータリスト』と重なる部分があり、その意味で両者の差分は結構おもしろくみた。『ブルータリスト』も3時間超の上映時間をもつ、結構奇妙な部分のある映画だったが、『メガロポリス』のごつごつした異形ぶりはさらに過剰。

 『ブルータリスト』は第二次世界大戦後の架空の建築家が巨大な公会堂の建築を目指す映画だったが、この『メガロポリス』では建築家の理想を体現するのは都市そのものだから、理想のデカさが段違い。惜しむらくはその構想の巨大さゆえに、都市の構築に至るディテールがほとんど描かれないことで、コツコツと大建築ができあがるさまを描いた『ブルータリスト』は、そのディテールの説得性が大きな美点だったのだといまさら気づかされるが、巨匠の興味関心はそこにはなかったのだろうなというのもわかる。

 一方で、そうした作品の骨格となる部分のディテールが曖昧であるがゆえに、あるべき都市を、そして未来をめぐる登場人物たちの対立が、内実が十分につかめない、空中戦のような格好になっているという気がして、この奇妙な浮遊感はこの映画の味であるのかもしれないが、しかしやはり登場人物へのシンパシーを難しいものにしていたとも思う。

 最終的には理想都市があらゆる対立を止揚し、悪は成敗され、輝かしい未来が赤子に手渡されるという無法な大団円となるのだが、それに至る道筋はあまりにでこぼこしており、そのでこぼこは、おそらくこの映画が巨匠の撮りたい画、語りたいこと、映したい表情、それらの純然たる連続でできているがゆえのもので、それが均されたらこの映画はとてもつまらない映画になったと思う。しかし現にこの映画が素直におもしろがらせてくれる映画ではないのは事実で、しかしフランシス・フォード・コッポラは俺の映画で素直におもしろがろうなどと思うな!とほくそ笑んでいるのかもしれず、そうした構えの映画はなかなかみれるものではないのだから、ありがたがってもいいのかもしれません。

 

 しかし漫画のごとき輝きを放つロビンフッドの矢じりはなんだったんですか?

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