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創造主の挫折、砕けた世界の欠片―—宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』感想

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 宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』をみました。以下、感想。

 暗闇の都市に、鳴り響くサイレン。病院で火災が起こったという。飛び起きる少年。少年の母は病院に勤めていた。少年は火災によって熱されゆらめく大気のなかを走る。母は亡くなる。

 母の死後、いやます戦禍を逃れ、少年と父は東京から去る。去った先は亡き母の実家。どうやら父は、母の妹と再婚しようとしているようだ。古めかしい田舎の大屋敷で、継母と、年老いた女中たちとの暮らしが始まる。大屋敷には、母の大叔父が建てたという奇怪な塔の廃墟があった。大叔父はそこで消息を絶ったという。炎にまかれる母の幻影にうなされ、そして夢かうつつか、不気味に語りかけてくるアオサギにつきまとわれる少年。そして継母が塔に誘われ神隠しにあい、少年は継母をさがして塔のなかへと足を踏み入れる。そこはまったく見知らぬ、黄泉の国にも似た世界へと通じていた。

 公開日当日まで、ポスタービジュアル以外の情報が秘されていた宮﨑駿*1監督の最新作は、アジア太平洋戦争期を舞台に、異世界に迷い込んだ少年の冒険を描く。冒頭、低層の和風住宅が並ぶくらい街並みに警報が鳴り響く場面は、『風立ちぬ』で明確には描かれたなかった戦時下の空襲、そして灰燼と化す東京が描かれるのか、と勘違いしたのだが、それはミスリードであった。

 舞台は早々に田舎へと移り、戦争という背景は挿入される出征兵士の見送りだとか、父親の仕事などくらいで、そこまで前景化はしない。戦時下の宮崎は栃木県宇都宮に疎開していた経験があり、父の宮崎勝次も宮崎航空機製作所の社長。ここから主人公の少年、眞人(まひと)には宮崎の経験のある部分が反映されているのだろうと想像がはたらく。切通理作宮崎駿の〈世界〉』によれば、宮崎の母親は病弱で、宮崎の幼いころには病にふせっていたというが、亡くなったのは1980年のようなので、すべてが実体験というわけでは無論ないだろう。

 保護者とともに現実から遊離した世界へと迷い込むというプロットは『千と千尋の神隠し』と相似形で、この作品の不気味で残酷な鳥たちは『不思議の国のアリス』の雰囲気を濃厚に感じさせもする。とはいえ、この『君たちはどう生きるか』の異世界は『千と千尋の神隠し』の異様な密度に比して書き割り的で貧しい。海が一面にひろがり、ところどころ森があったり屋敷があったりはするが、生き生きと自律した世界という印象を与えるものではない。登場人物の口を借りて、遠くにみえる船はまぼろしにすぎないと言及させているし、また物語上の仕掛けからも、この貧しさは自覚的に選び取られたものなのだろうとは思う。とはいえ、圧倒的なイマジネーションと腕力とで、唯一無二ともいえる世界を創造し続けてきた監督の最新作として、これはさみしさを感じざるを得なかった。だれしも老いるのだし、それは偉大な巨匠ですら例外ではないのだ、と。

 異世界で生じる危機と、それを乗り越えるドラマも、けっしてスリリングとはいえない。『千と千尋の神隠し』にあった物語上のロジックの大胆な飛躍はこの映画にもあって、世界の論理がつまびらかにはされないまま事態が進展していくが、それがいかにゴージャスな作画で彩られていたとしても散漫に感じられるのは、この作品を統御する作り手がかつてのような腕力をもはや持ってはいないことに起因するのではなかろうか。

 物語の後半で、この黄泉の国のごとき異世界は、かつて消息を絶った母の大叔父が長年かけてつくりあげてきたもので、日々の積み重ねでこの世界を豊かにし、均衡を保ってきたのだと告げられる。老い衰えたこの創造主は自身の跡を継ぐ者を探しており、迷い込んだ少年にその役目を託したいのだという。この創造主をめぐる仕掛けに、まさに世界の創造主として君臨してきた宮崎駿という作家の、ある種のあきらめがにじんでいるような気がした。すでに自身が世界をよりよくする術を失ってしまった。すばらしい世界と信じてつくりあげてきたものは、所詮、ブリコラージュの書き割りに過ぎなかったのではないか。もはや自分では世界を想像する力を失ってしまったが、しかしこれまでの努力でかきあつめた善き「積み木」はここにある。これで再び、善なる意志をもつものに世界を創造してほしい。

 しかし、その創造主の遺志を少年は継ぐことはない。善の結晶たる積み木もほとんど思考の深みをもたないであろう「インコの王」に両断され、異世界自体も破局をむかえることになる。異世界の創造主を宮崎駿という作家の暗喩と見立てるとき、この映画の語っていることは極めて絶望的な事態に思える。

 とはいえ、この映画の結末のトーンはそこまで暗くはない。それは宮崎駿という作家が、むしろ先行する作り手の遺産相続者であることにやすらうことなく、むしろそれらの遺産相続を拒否することで世界を創造してきた自負をもっているからかもしれない。老いた巨匠は破局をむかえた世界の欠片だけを「君」に手渡し、こんなくだらない書き割りの世界なんぞ超えてみせろ、おれはそうしてきたのだからと挑発しているのかもしれず、そう考えるとこの映画は宮崎駿という作家の最後を飾るにふさわしい、のかもしれない。

 

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*1:宮「崎」駿から表記を変えたのはなぜなんだろうか