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映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

『TENET テネット』感想

メイキング・オブ・TENET テネット クリストファー・ノーランの制作現場

 『TENET テネット』をみました。クリストファー・ノーランという作家は、撮りたいものを自由に撮ることができ、またそれと撮るべきものを一致させることができるという稀有な幸運に恵まれているのではないか、という感を抱きました。以下、感想。

  ロシア、キエフ。オペラハウス、テロ事件、介入する「アメリカ人」。捕縛、拷問、自裁。謎の言葉、「テネット」に導かれ、男は世界の終局の回避を託される。逆行するのは、世界か、男か。

 『インセプション』で異なる毒度で時間が流れる多層世界としての「夢」を提示し、あるいは『インターステラー』で宇宙を舞台に途方もないスケールの空間と時間を超越し、もしくは『ダンケルク』で戦争にかかわるものたちに別様に流れる、しかし一つの時間としての「戦争」を形作ってみせたクリストファー・ノーラン監督の最新作は、またしても時間という主題を先鋭化させ、順行と逆行が錯綜し、しかもそれが同居する異様な空間を現前させてみせた。

 相も変わらず上手く撮ろうという意志に欠けるきらいのあるアクションシーン、複雑さのための複雑さを追求したかにも感じられるプロット、「本物」志向もここまできたかという巨大飛行機を使用した撮影など、毀誉褒貶など我関せずといった面持ちで我が道をゆく作家の自信と確信。おそらく途方もなく巨大な予算をつぎ込み、そしておのれの撮りたいものを撮り、しかもそれが強烈な吸引力を持つ。このような作家が現代においてほかにおるまい、という意味で、クリストファー・ノーランの作品が劇場でかかることは、(タランティーノの作品がそうであるように)一種のお祭りなのだな、という感じを強く持つ。そうしたお祭り感を最高潮まで盛り上げつつ、ひとまずのクライマックスまで走り切ってしまったマーベルシネマティックユニバースの作品群の公開が小休止に入った今だからこそ、そのありがたみをひしひしと感じるところではある。

 さて、この『TENET テネット』の作品世界をつらぬくロジックは、こちらの十全な理解を拒むような調子がある。しかし、それではこの作品が「わかりにくい」かといえばまったくそんなことはないだろう、というのも、この作品をつらぬく作家の信仰のようなものは極めてシンプルであり、それさえ感得すれば細かなロジックがわかる/わからんなどというのは非常に些末なことだと感じるからである。

「起こったことは仕方がない」

 幾度も繰り返されるこのフレーズは、ジョン・デヴィッド・ワシントン演じる名無しの男たちの戦いの基本的な方向性を示している。ここに、たとえば『シュタインズゲート』であるとか、あるいは『僕だけがいない街』、はたまた『魔法少女まどかマギカ』のような、時間遡行を主題化した、近年の日本語圏のフィクションとの差分を看取することもできるだろう。これらの作品群ではむしろ、「起こったこと——それはおおむね他者の死に代表される破局を意味する——を「なかったこと」にする」、というのが、これらの作品群において、時間遡行者たちの目標となることだからだ。

 しかし、『インターステラー』で死に瀕した地球をいともたやすく抜け出してみせたクリストファー・ノーランは、そうした「過去の破局」の否定ではなく、むしろおこってしまった過去を背負って、徹底して次の最善手を探る任務を時間遡行者たちに与えた。

 「起こったことは仕方ない」というフレーズだけ取り出すならば、それは諦念に満ちた現状肯定に堕してしまいかねない雰囲気をまとう。だからクリストファー・ノーランという作家は、こう付け加えることを忘れなかった。「起こったことは仕方ない。だけどそれが何もしない理由にはならない」と。無数に錯綜する時間の矢が乱れ飛ぶこの作品世界で、現状を冷徹な目でみやりつつ、つねによりよい可能性を模索すること。ニヒリズムの誘惑に屈することなく、ある種の運命愛の輝きを彫琢して提示しえたこの作品のことを、わたくしは嫌いになどなれるはずもないのであった。

 

 

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