野口雅弘『官僚制批判の論理と心理』を読んだのでメモ。
本書が出版されたのは2011年。官僚制批判をその主張の核とする維新の会が大阪で勢力を拡大させ、一方で民主党政権が「事業仕分け」に象徴されるような仕方で行政の「無駄」をなくすことを掲げていた、そうした時期。本書が書かれた問題意識は、そうした官僚制批判が近年になって突如現れたものではなく、「官僚制」という語が登場してから続く歴史的な問題である、ということを改めて思想史的に提示することにある。
官僚制(bureaucracy)の語は、古代ギリシア由来の民主政(democracy)や貴族政(aristocracy)と異なり、18世紀ごろから使用されるようになったかなり新しい語であり、そして誕生した段階から、批判的なニュアンスをおびた文脈で使われるようになった語だったという。
官僚制の双生児として見いだされる官僚制批判が、官僚制はデモクラシーを毀損するという文脈から攻撃され、一方で新自由主義陣営からも悪弊の要因として攻撃される、という二重の攻撃を受けた結果、リベラル陣営と新自由主義が官僚制批判という文脈において合流してしまう、というロジックなどとりわけ興味深く読んだ。
本書は章ごとに明確なテーゼが示されていて、それを著者の結語から抜き出すと以下の通り。
本書が世に出てすでに十年。本書の整理はクリアで有益だが、官僚制をめぐる状況はさらにグロテスクなフェイズにさしかかっているようにも感じられる。官僚制批判を核としたポピュリズムが大阪を破壊したことは今般の状況下でもはや自明となり、一方民主党のかかげた「政治主導」は、再度政権を握った自民党の支配の道具と化してデモクラシーは毀損され続けているように思える。その時差をどう考えるか、という思考を刺激されるという点で、本書の価値は未だ失われていないだろう。