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孤独な魂のために——辻村深月『かがみの孤城』感想

かがみの孤城

 あの原恵一がアニメ化するというので、辻村深月かがみの孤城』を読みました。以下、感想。物語上の重要な仕掛けに触れています。

 中学校に進学した直後、不登校になってしまった少女。うつうつと日々を過ごす彼女は、突如かがやきを放った自室の鏡に導かれ、オオカミの面をつけた幼い少女の住む城へと招かれる。そこには、同世代の少年少女7人が集められ、願い事をかなえるという鍵を探すゲームが始まる。タイムリミットは次の3月。不思議な城で次第に交流するようになる少女、少年たちの願いは、あるいは未来は。

 誠実に書かれた小説だと思う。学校空間で行き場をなくしてしまった少女の苦しさ、そのディテールは読ませるし、周囲の大人たちの無理解(と理解)のリアリティ感覚も絶妙。これを読むかもしれない孤独な子どもに、「たかが学校」にすぎないと勇気を与えようとするのは、大人としての責務がそうさせたのだろうが、そのおせっかいにいやらしさを感じないのはやはり書き手の巧みさだろう。総じてくさす気持ちになれない小説ではある。

 一方で、これは単に接したタイミングの問題ではあるんだけど、物語上の大きな仕掛けが、2016年に公開されて多くの観客を得た映画と重なっていて、それもあって途中で物語上の仕掛けがわかってしまうんですね。この小説が連載されていたのは2013年から翌14年なのでこちらのほうが早くはあるんだけど...。でも空間的なズレと時間的なズレを錯誤させるトリックは、乙一の短編でもあったように記憶しているしネタとしてはさほど新奇なものではないから、これを看過されること自体は別に作品の瑕疵ではないんだろうと思う。ティーンエイジャーたちに、「登場人物たちが気付かないことをわたしが気付けた!」という成功体験を与えるために、あえてこういうトリックを使ったのかとも思ったりするんだけど、さすがにうがちすぎだろうか。

 そうしたトリックについて気になるのは、登場人物たちがあまりにも都合よく時代的な差異を見落としているようにみえてしまうこと。とりわけゲーム機のようなガジェットに対して、あまりに無頓着すぎるでしょう。このわざとらしさは作品に影を落としていて、「自分を助けてくれた人を実は自分が救っていた」という構築的な円環構造もまたつくりものっぽい印象を付与されてしまっている、という気がするのだ。誠実に、緻密に設計された小説だが、それ以上のものではない。わたくしが小説に求めるのは、そうした構築性から逸脱していく「なにか」なのだ。たとえば筆が乗りすぎて当初の構想を大きく逸脱し、もはやどこに到達するかも判然としない冲方丁『マルドゥック・アノニマス』の魅力はそれなのですよ。

 とはいえ、以前原恵一が監督した森絵都原作の『カラフル』と同じく、孤独な魂に寄り添えるかもしれないこういうフィクションには価値があると思うし、それを原が自身のものとしていかに語りなおすか、ということには大きな興味がある。この小説を読む限り、終盤までかなり動きに乏しい感じを受けたので、それをどうするか、大きな課題ではないかと思います。『バースデー・ワンダーランド』のように無様に失敗するのは、あまりみたくないですね。

 


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