『進撃の巨人 The Final Season 完結編』をみたので感想。
壁の中で眠っていた巨人を目覚めさせ、世界を滅ぼすため進撃をはじめた進撃の巨人=エレン・イエーガー。エレンの幼馴染であるミカサやアルミン、そしてかつてともに戦い、生き残ってきた仲間、あるいは殺しあった仇敵たちが、世界を救うため立ち上がる。
アニメ『進撃の巨人』、堂々の完結編。2023年に約半年の期間をあけてテレビスペシャルとして放映。動画配信サービスではテレビシリーズの尺に分割してオープニング、エンディングを付したものが視聴できる。管見のかぎり、放映版と配信版では結部に異同があり、放映版だとエンドクレジットにあわせて原作にもあった、エレンの墓の周囲の未来の状況(大都市の建設、再び戦禍、自然に帰る)が描かれているが、配信版(わたくしはNetflixで視聴)ではその原作のエピローグ部分がカットされていて、結構鑑賞後の感触が異なる。配信版のほうがオープンエンド風でさわやかな印象だが、より「らしい」のは放映版だろう。
『The Final Season』のルックについての感想は以下の記事で書いたのでここでは繰り返さない。『完結編』でも外連味あるアクションの魅力は健在で、素晴らしかった。
さて、改めて『進撃の巨人』という作品と接して、その大柄なありように再び圧倒された、というのが正直な感想である。次々とバカでかい風呂敷を広げ、作品の全容をこちらに悟らせないままに物語の規模を巨大化させていくストーリーテリングは、ちょっと近年のフィクションに類例がないのではなかろうか。原作の連載中、「『進撃の巨人』はいまの展開がいちばんおもしろい」という感想を知り合いから何度も(もちろん別のタイミングで)聞いたが、まさにその通りで、作品の「おもしろさ」が次々と更新されて塗り替えられていく、稀有な漫画だった。
そしてアニメ版はその原作のおもしろさを十二分に伝える、すばらしい仕事だったと思う。原作の粗削りな絵柄を、スタイリッシュで整ったものに洗練させ、立体機動装置という架空のガジェットを利用したアクションを見事に成立させたWIT STUDIOと荒木哲郎監督の手腕は疑いなくエポックなもので、そこで見事に作品世界を立ち上げたがゆえに、テレビシリーズでおおよそ8クールという大長編を息切れせずに完結させることができたのだろう。
脚色の面でも、おそらく小林靖子のセンスではないかと思うが、原作と同じ筋立てていくつかのシーンを添えることで「初恋の終わり」を描いた『Season1』の脚色は見事だったし、その意味でもアニメ版が原作をリスペクトし、より洗練させた、いわば「完全版」といっていいようなパッケージになっていると思う。
わたくしは原作最終巻を読んだとき、必ずしも十分に満足しなかったのだが、この『The Final Season 完結編』をみたあとはかなりの満足感があった。それは一つに結末部分でのエレンとアルミンの対話のニュアンスが大きく変わっていることが大きかったかもしれない。原作ではエレンの自己犠牲の結果を受け取るアルミンという位置関係だったものが、アニメ版では共に多くの無辜の人間を虐殺した共犯者へと変わり、だからこそ、最後には対話のために再び故郷に足を踏み入れるアルミンの姿に陰影が増しているという気がする。
恐るべき過去は決して消すことができないが、それでもそれを背負って、よりよい明日を築くために力を尽くすこと。『進撃の巨人』の結部で示される倫理は凡庸で、目新しいものではない。しかしその凡庸な倫理に確かな内実を与え、それを強靭なものへと鍛え切った原作、そしてアニメ版は、長く記憶されるべき、日本アニメ史上のひとつの達成でしょう。
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