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ずっと続いてゆく旅路——『映画 ゆるキャン△』感想

ミモザ(アニメ盤)

 『映画 ゆるキャン△』をみました。以下、感想。

 高校を卒業してからしばらく後。名古屋市内の出版社に勤めはじめた志摩リンは、高校時代にしばしばキャンプをともにした級友、大垣千明と再会する。山梨県内で地域振興のための団体に勤務しているという彼女は、山梨県廃墟を再利用してキャンプ場をつくる計画をあたためていた。その計画の実現のため、かつて「野外活動サークル」とその周辺に集まった少女5人がふたたび集まり、キャンプ場づくりを始める。

 高校生の少女たちがゆるくキャンプを楽しむ様子を描いたアニメ『ゆるキャン△』の劇場版は、まだ高校生活を続けている原作漫画のはるかさきを描く。原作がまだ進行中で、かつまだ高校卒業すらしていないキャラクターの「その後」を先取りして描いてしまう、というのは大変なアクロバットだと感じたが、そのことが映画らしい映画としてこの作品を成立させていて、その意味で極めて誠実な舞台設定だったと思う。

 高校を卒業した彼女らは、それぞれの場所で日々の糧を得、互いに遠く離れて時間を過ごしている。スマートフォンを介して日常の写真を送ったりすることはあっても、頻繁に会いにいくほど彼女たちも暇ではなくて、それぞれ労働者として時間を過ごしている。このあたりの地に足のついたリアリティ感覚は、キャンプ場づくりという課題にどう取り組むか、という映画全体の主題に対しても共有されていて、万事うまくいってすばらしい!とはならない。予想もしなかった課題が突如現れ(しかも突飛な課題というわけではない)、キャンプ場づくりは暗礁に乗り上げる。5人はその課題を引き受け、見事に落としどころを見出してみせるが、このあたりの対応はいかにも世慣れた労働者然としていて、高校生だったあのころから遠く離れたところまできたものよ...と慄くばかり。

 ともすれば陳腐な空想じみた「キャンプ場づくり」という主題を、陳腐化させずに描き切れたのは、そうした誠実なリアリティ感覚にあるだろう。結末にしても、「キャンプ場ができた」という物質的な成果でもって映画全体の目標は達成されていて、それでひなびた場所がよくなったとか、そういう抽象的で解決しがたい問題に足を踏み入れることは慎重に禁欲されている。ただキャンプ場という場所はつくられた、ひとまずそのことがささやかで偉大な達成なのだという感覚もまた、この作品の誠実さだろう。

 いつか終わってしまう高校生という時間、しかしそのあとも旅はずっと続いていくものなのだとこの映画は教える。高校から遠く離れても、なにか一緒に物事をしようと意志すれば、できるだけのテクノロジーがあり、そして彼女たちには十分にそれを実現する能力はあるのだ、というこの映画のトーンはとても力強くて、正しい。TVアニメ版1期と同時期に放映され、ともに旅をモチーフとしていた傑作『宇宙よりも遠い場所』の最終話のタイトルは「きっとまた旅に出る」。図らずも、この『映画 ゆるキャン△』はその宣言へのリプライになっているようにも感じられる。彼女たち——あるいはほかの無数のアニメのなかのキャラクターたち——の生活と旅が続いてゆくことの幸福を教えてくれる、ほんとうによい映画だったと思います。

 

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