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恋と意味のなさについて——『リコリス・ピザ』感想

リコリス・ピザ - オリジナル・サウンドトラック (特典:なし)

 『リコリス・ピザ』をみました。以下、感想。

  1973年、ロサンゼルス。俳優として活動する15歳の少年、ゲイリー・ヴァレンタインは、写真撮影のスタッフとして学校を訪れた女、アラナ・ケインにひとめぼれし、猛烈なアプローチを試みる。10歳も年下の少年の好意をまともに受け取るようなそぶりはみせないながらも、まんざらでもなさそうなアラナは、やがてゲイリーが取り巻きの少年たちと始めたウォーターベッドのビジネスにともに取り組むようになる。野心家の少年と、人生に迷う女の、つかずはなれず伴走する日々の記憶。

 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『インヒアレント・ヴァイス』のポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作は、故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子であるクーパー・ホフマンと、三姉妹によるバンド、ハイムのギターボーカルであるアラナ・ハイムの二人を主演に据えた、ゆるい雰囲気のラブストーリー。過去のフィルモグラフィでは、2002年公開の『パンチドランク・ラブ』と相似の雰囲気があり、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のような極度の緊張が画面を支配し続ける映画の重力から戻ってきたのかな、という感じもする。ゆるさでいえば『インヒアレント・ヴァイス』も相当ゆるやかな時間の流れ方をする映画だったが、1970年を舞台にした同作がまさに当時、そしてそこから連続する現代における支配と搾取のシステムを主題化していたことと対照的に、『リコリス・ピザ』はあくまで二人の関係性にフォーカスし、オイルショックなどの歴史的な出来事もあくまで背景にとどまる。

 この映画のおもしろさは、男にも女にも取り立てて感情移入する余地はないが、それでもなんか見入ってしまうところ。『パンチドランク・ラブ』ではアダム・サンドラー演じる不器用な男を応援するような気持ちになってしまう映画だった気がするのだけど、『リコリス・ピザ』はぜんぜんそんなことなくて、ゲイリーはいかにも生意気な小僧という感じだし、アラナも流石に行き当たりばったりで行動しすぎでは、という感じがして、親身になって応援する気になるようなやつらじゃない。

 アラナが「こんなガキには付き合いきれん」といわんばかりに、ときどき我に返ってほかの男性に好意をアピールしたり人生をまともな方向に軌道修正したりを試みつつも、ことごとく期待外れの結果に終わり、そのたびごとにゲイリーに再接近する...を反復して、この運動に終わりなどないんだがしかし映画には必然的にピリオドが打たれる、その不可思議さ。

 予告編でも使われているデヴィッド・ボウイ”Life on Mars”に象徴されるようなオールディーズの響きに揺られて二人の無軌道なロマンスがだらだらと映し出されるこの映画にあって、ショーン・ペンブラッドリー・クーパーという二人のスターが登場するわずかなシーンは、そこだけ異様にボルテージがあがっていて、それがある種の起伏をつくっている。とりわけブラッドリー・クーパー演じるジョン・ピーターズのいかれっぷりと、それに対抗し、おびえ、そして復讐を試みるクーパー・ホフマンの姿はめちゃくちゃにおかしくて楽しい。予告編で使われた、バールで自動車の窓をたたき割るジョン・ピーターズの画は本編で使われていなくて残念至極ですが、それでも十二分に楽しかった。

 この映画で印象的な主役のアクションといえば、クーパー・ホフマンもアラナ・ハイムも、なにかに突き動かされて走る、それが反復されるんだが、それが直面した事態の打開に資することってなくて、そういう意味では無意味な走りだと思う。でもたぶん、恋が恋たる条件は、そのように無意味に走ってしまう、そのことなんだろうと思う。この映画に教訓めいたものや高尚な思想が託されているとは思わないんだけど、それでも十分、映画ってのは豊かな時間をかたちづくれるんだぜ、といわんばかりの堂々たる無意味さで充溢したこの映画に、わたくしはたいへん楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 

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