宇宙、日本、練馬

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スタバの繁栄と「僕らの欲望」――ブライアン・サイモン『お望みなのはコーヒーですか?――スターバックスからアメリカを知る』のメモ

お望みなのは、コーヒーですか?――スターバックスからアメリカを知る

 

 ブライアン・サイモン著、宮田伊知郎訳『お望みなのはコーヒーですか――スターバックスからアメリカを知る』を読んだので、そのメモを適当に。

 スターバックスの盛衰の根底にあるもの

 本書は、タイトルにもあるようにスターバックスの盛衰を通してアメリカ社会を、ひいては現代社会に生きる人間の欲望を論じたものである。スターバックスという企業の姿勢は批判的に議論されるものの、「社会悪」みたいなものを糾弾することが主眼に置かれているわけではない。スターバックスの成功を支えた「僕ら」=アメリカ人(≒日本人?)の欲望の在り方こそ、本書が摘出して見せたものだ。

 本書の内容は、主に三点*1

 ざっくりいえば、前半部分で第一の、後半部分で第二の問題が検討され、それを通して「僕らの願望」の様相が浮かび上がっていくる、という構成になっている。と思う。

 それらの詳細な分析とそれに付随するスタバトリビアが本書の魅力なんですが、結論ははっきり序章に書き込まれている。

 スターバックスはある種の文化的マーカー、つまりそれによって他人が自分をどんな人か判断したり、逆に自分が他人を判断したりする道具として機能してきたのである。…茶色のスリーブにくるまれた真っ白なペーパーカップを片手に、イタリア語っぽいスターバックス製の世界共通語を口にすることによって、顧客は自分が最先端で都会的なテイストを備え、品格があって素敵な暮らしを追求し、世界の自然環境の保全や恵まれない人々の生活改善を願い、国際関係の改善に関心を持つ、カッコいい仲間の一員であるように振る舞うことができるのである。*2

 スターバックスは、人々が求めた「真正な(authentic)」な製品を求める消費者のニーズに適合し、コーヒーに関して該博な知識をもつ店員を養成することによって、顧客を獲得した。スタバに行けば本物っぽいコーヒーが飲める、というのが第一の売りだったというわけだ*3

 とはいえ、その画一性が人々を安心させもする。どこにいっても同じ味のコーヒーが飲めるという「予期可能性」の高さは、スターバックスに人々を惹きつける要因となる。どの街、どの国でも同じような雰囲気で、店舗やトイレが清潔に保たれていることは、人々を安心させるからだ。スターバックスはホームレスなどを店舗から締め出すことによって、それを達成している*4

 また、スターバックスは人々に「居場所」を提供する。家でも職場でもない居場所、サード・プレイス。スタバは「現代社会に生きる僕らが持つコミュニティーや居場所を求める行き場のない願望を実現する場所」*5なのだ。

  ロバート・パットナムが指摘したように、1970年代のアメリカでは地域に根差したコミュニティーが崩壊が大きな問題となっていた。人びとは安心と安全のために、人の出入り管理されたゲーテッド・コミュニティのような空間にこもり、人々の交流は薄れていった。しかし時代が下ると、人々はまた交流を、安心安全なそれを求めるようになっていったと著者は言う。そうした安心安全な交流の場を、スターバックスは提供したわけだ*6

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

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  またスターバックスは環境保護にも貢献していることをことさら強調したりとかして、それが「クール」なものだと見做されていた。環境保護に携わるやつはみんなクールになれるのだ、アル・ゴアがいい例だ、みたいな記述があって笑いました。途上国とのフェア・トレードの推進もこれと重なるような感じだろう。

 

 スターバックスの矛盾

 「真正さ」、予期可能性の高さ、居場所。それらがスターバックスの成功の要因といえるだろう。しかしビジネスを拡大するにあたって、次第に「真正さ」は薄れていく。多くの場所で、多くの客を相手にするのだから、必然的に薄れていかざるをえない。全自動のエスプレッソ・マシーンを導入し、高いクオリティのコーヒーを短時間で提供できるようになったものの、それは商品が画一化され、「真正な」ものでなくなることを意味した

 また、「予期可能性」の高さも、裏を返せば「どこに行っても同じ」ということにもなる。そうした没場所性を嫌って、地域に根差した独立系のコーヒーハウスを好む人たちが増えてきたんだとか。

 また、スターバックスの提供するサード・プレイスは、ユルゲン・ハーバーマスが称揚したような、公共圏を創出する原動力にはならないのだと、著者は強く批判する。スターバックスで見知らぬ人同士が会話を始めることはまれだし、自由な議論が為される雰囲気は、店内にはない。

会話や議論はコミュニティーやサード・プレイスの生成やコーヒーハウスの伝統において肝要な要素だが、こうしたものをスターバックスは提供していないのである。*7

 スターバックスをコミュニティーの作り手として見るのは誤りだと気づくのに時間はかからなかった。スターバックスは幻想を生み出す神話の語り部なのである。かれらが提供するのは顧客が望むつながりや出会いの雰囲気で、その実質はないことがわかったのだ。*8

  そして環境保護という方針が、あくまでお題目に過ぎないこと、途上国とのフェア・トレードの欺瞞も大きな問題となり、かくしてスターバックスのその急成長には陰りがさすのであった。

 

終わるスターバックスの繁栄と終わらない「僕らの欲望」

 スターバックスの盛衰の物語を通して見えてくる「僕らの欲望」。それは「真正さ」だとか予期可能性だとか、居場所だとか、環境保護だとか、社会正義だとか、そういうあながち馬鹿に出来ない、結構尊いものを求めるものだった。それらは、ただ「買うこと」によって、お手軽に実現できますよ。そうスターバックスは囁きかけ、それによって繁栄を享受した。それらが結局のところスターバックスの商品を買うことによっては実現されないのだ、ということがなんとなく周知されるようになって、その繁栄は終わる。

 しかし、僕らの欲望は終わらない。第二第三のスターバックスが、また耳元で囁いたら、同じことが繰り返されるんじゃないのか。そんな問題意識が、著者にはあるように思われる。

あらゆる行為の核心には、倫理感を持ち社会問題に立ち向かおうとする市民性が希求する、より人間的、そしてより公平な社会秩序の土台が見え隠れしているのだ。*9

 しかし、安易に消費の欲望にとびつくことで、それは容易に骨抜きになる。単に買うことだけで、世の中そんなに簡単によくなんないぜ、みたいなことを繰り返し確認する必要があるんじゃねーかなーと。こう言い直すと陳腐ですが。

 

 宮田伊知郎氏の訳者あとがきの文章が、本書の問題意識を適切に要約していると思われるので抜粋。

大企業批判をすればするほど、「買うこと」を軸にまわる僕ら自身の生存様式について考えることは難しくなる。本書の射程はより広い。スターバックスは僕らの願望を代表しているに過ぎず、ゆえに僕ら自身をみつめることがまずは必要なのである。誰が善で誰が悪かの判断ではなく、あなたの善が、誰のための善か思考することを本書は求めているのだ*10

 はい、こんな感じで、面白い本だったのでぜひお読みください。

 

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*1:本書15頁。

*2:8頁。強調は引用者による。

*3:第1章。

*4:第二章

*5:89頁。

*6:第3章

*7:103頁。

*8:277頁。

*9:281頁。

*10:292頁。

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