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いま・ここの肯定――アニメ『四畳半神話大系』感想

四畳半神話大系 第1巻 [Blu-ray]

  『夜は短し歩けよ乙女』アニメ映画化の報に触れ、森美登美彦熱がにわかに高まる昨今ですが、このたびはアニメ版『四畳半神話大系』を冒涜的な仕方で見返しました。個人的に思い入れが深い作品なんですが、これまでまとまった感想を記してこなかったので、この機会に書いておこうと思います。

  〈私〉の行く道は、あまりに艱難辛苦に満ち満ちているかのように思われた。浪人を経て入学した京都の大学で待ち受けていたのは薔薇色のキャンパスライフなどではなく、薔薇色などとは程遠いことどもの連続に、〈私〉は思わずひとりごちるのである。責任者は誰か、と。もしあのとき、違う道を選んでいれば、異なる選択をしていたならば、薔薇色のキャンパスライフへの道が開けていたに違いない。彼のなかで浮かんでは消えてゆくのであろうそうした想念が、現実か虚構かはさておくにして、無数の世界をこの世界に生み出し、そして我々はそこを彷徨する〈私〉を眺めることになるのである。

 「薔薇色のキャンパスライフ」を目指し彷徨する〈私〉の不毛と愚行を描いた『四畳半神話大系』は、アニメ化にあたって原作にはない要素を付け加えた。具体的には大学生活の始まりにおいて異なるサークルを選んだ〈私〉を語り手に据え、原作では語られなかった可能性を含みこんで物語を語ることを選んだ。毎回「こんなはずではなかったはずだ」という感覚に襲われる〈私〉の独白へと至り、任意のサークルを選んだ〈私〉の物語は閉じられ、そして大学のランドマークたる時計の針が巻き戻る演出が挿入されてエンディングへと突入する。物語上は、〈私〉の選択によって様々な可能世界が無限に生じているというパラレルワールドが前提となっているのだが、この各回のエンディングはむしろ、ある特定の主体が何度も何度も特定の状況のなかで試行錯誤する所謂「ループもの」的な印象を与える。

 『四畳半神話大系』を「ループもの」であると見立てるのは、「四畳半主義者」から続く物語全体の結末と齟齬をきたすという意味では誤っているが、しかしこの物語をみる我々の立場からするならば、この物語は大学入学という特定の状況のなかで〈私〉が試行錯誤を繰り返す、それを我々は毎週ごとに眺めるという体裁にはなっていて、その意味では『シュタゲ』『まどマギ』その他諸々のループものの系譜に連なる作品としてもよいのではないかと思う。

 話がそれた。そうした〈私〉の試行錯誤の反復の果てに見出されるのはなにかというと、それは〈私〉の言葉を借りるならば畢竟こういうことだろう。

「不毛と思われた日常はなんと豊穣な世界だったのか。ありもしないものばかり夢見て自分の足下さえ見てなかったのだ」

 「四畳半主義者」として他者との関係性から撤退して下鴨幽水荘の一室に閉じこもった結果、そこから出られなくなってしまった〈私〉は、それまで〈私〉が否定してきた、受け入れることのできなかった無数の人生の豊かさをようやく知る。そうしてそれらすべてを肯定するのである。

 そうした日常性の肯定は、例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』であったり『けいおん!』であったりという作品のなかに通底するトーンであり、ゼロ年代後半以降のアニメーションのなかで一種のトレンドを形成しているともいえると思うのだが(なんちゅう雑語りだ)、この『四畳半神話大系』はループという仕掛けを通して、それらの作品とは異なる次元において、あるいはもっと根源的な仕方で、我々の生きるこの日常を肯定しているように思われるのである。

 〈私〉の選択とそれによってもたらされた人生は、その〈私〉においてはいったん肯定できないもの、否定されるべきものとして立ち現れる。

「あの時他のサークルを選んでいれば私はもっと別の二年間を送っていただろう。幻の至宝といわれる薔薇色のキャンパスライフを手に握っていたかもしれない」

  この想念によってこそ、演出上は時間が巻き戻り、そして〈私〉に再び選択の機会が与えられたかのような形式で次回のエピソードが語られ始めるわけだが、〈私〉の選択は常に何らかの後悔を抱え込む。「薔薇色のキャンパスライフ」に限りなく近づいてさえ、そうならざるをえない。

「悪くはないんです。人の羨むような人生の成功を手に入れた。でも、何か物足りない。こんなものだったのかと。あるいはもっと、有意義な人生があったかもしれない、もっと薔薇色で、もっと光り輝いていて、一点の曇りもない学生生活を満喫していたかも……」
「私が選択すべきは、もっと別の可能性だったかも……」

  こうして否定に否定を重ね、やがてあらゆる可能性をおのずから閉ざす四畳半の迷路へと〈私〉は導かれる。その迷宮における絶望的な彷徨の末、〈私〉はようやく、先に記した、日常性の肯定へと至るのである。その日常性とはすなわち、他でもありえたかもしれないが、さしあたっていま・ここを生きる私にとってはこれでしかありえないような、そうした日常性であり、その日常性すべてを〈私〉が事後的に肯定し承認し、それを〈私〉の物語として接続することによって、〈私〉は四畳半の迷宮を脱出する。あらゆる〈私〉の物語が、彼と明石さんとを結ぶ「蛾」という形をとって迷宮を彷徨う〈私〉に流れ込む。無数の蛾とはすなわち、日常に散りばめられた無数の、とりとめのない、そして私たちは往々にしてそれを見過ごしてしまうような出来事のメタファーであり、それこそが〈私〉の物語をドライブさせるのだ。

「どうせあなたはどんな道を選んだって今みたいな有様になっちまうんだ」 

  1話で小津から投げかけられるこの言葉は、1話の時点ではあたかも呪いのように〈私〉を縛るものとして感受されただろう。しかし四畳半期の終わりに至り、この呪いはどんな選択をしたところでそれなりに豊かな日常を享受できるのだという祝福へと読み替えられることになる。このようにして、「別の可能性」の前に一喜一憂する我々の苦悩など吹き飛ばし、ありとあらゆる可能性と、しかしその可能性を決して成就させることのない私たちの人生をこそ肯定する。私たちの生はみじめでどうしようもなく愚かかもしれない。しかし、それがなんだというのだ。そのみじめで愚かな人生こそ私たちの人生であり、そのみじめさを、愚かさをこそ肯定するような仕方で、私たちは生きていくことができるのだ。そう語って世界すべてを笑いとばす、そんな強烈な力があるからこそ、この『四畳半神話大系』は僕の心に強く残るのだろうな、と思う。

 

 

 はい、というわけでこんなことを思ったんですけど、多分この読みは佐々木敦未知との遭遇』にすげえ影響を受けている、という気がします。この文章を書くにあたって直接参照はしなかったのですが、「起こったことはすべて良いことだ」とする「最強の運命論」を説く『未知との遭遇』を読んでいなければ、僕の感想はこういう形を取らなかっただろう、とは思います。

 

未知との遭遇【完全版】 (星海社新書)

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四畳半神話大系 Blu-ray BOX

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【作品情報】

‣2010年

‣監督:湯浅政明

‣原作:森美登美彦

‣シリーズ構成:上田誠

‣キャラクター原案:中村佑介

‣キャラクターデザイン・総作画監督:伊東伸高

美術監督:上原伸一

‣音楽:大島ミチル

‣アニメーション制作:マッドハウス

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