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栄光と破滅―『レイジング・ブル』感想

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 『レイジング・ブル』をレンタルして視聴。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』を見て以来、スコセッシ監督の過去作を見ないとなーと漠然と思っていたのと、デニーロvsスタローンの『リベンジ・マッチ』も公開されたことだしということで観ました。簡単にその感想を。

  この『レイジング・ブル』、実在するボクサーの話である、というぐらいの知識しかなくて、『ロッキー』よろしくボクサーが成り上がるサクセスストーリーだと勝手に思っていたんですよね。でも内容はサクセスストーリーとはほど遠い。むしろその執着心から破滅へと吸い寄せられる男を描いた映画だった。すくなくとも僕はそう感じた。

 確かにボクシングの場面はすごい。リングの上のにおい立つような熱気。すさまじいスピードで繰り出される、ロバート・デニーロ扮するジェイク・ラモッタの拳。それがまた怒れる牡牛(レイジング・ブル)の名前に説得力を与えている。

 主人公であるジェイクだけでなく、相手方のボクサーも印象的だ。何度も何度も戦うことになるシュガー・レイ・ロビンソンの存在感もすさまじい。最後の死闘でジェイクの眼前に立ちはだかるその恐ろしさが目に焼き付いている。

 

 しかしそれほど印象的なボクシングシーンがあるにもかかわらず、観終わってみると「ボクシング映画」をみたという感覚はそれほどない。強く記憶に残っているのは偉大なチャンピオンの姿ではなく、あるがままの、ただのちっぽけな人間としてのジェイク・ラモッタという男の姿。その意味で、同じくマーティン・スコセッシ監督の作品である、億万長者の栄光と破滅を描いた『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や悪党のそれを描いた『グッドフェローズ』と強く重なるものを感じる。

 それらと決定的に異なるのは、主人公ジェイクが、決してみかけ上も幸福には見えないように感じるということだ。ボクサーとしてのキャリアを重ねていっても、減量という苦痛と戦い続け、その苦しさから解放されてもみじめな人生を歩んでいる。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でありとあらゆる贅沢を極め、巨万の富を失った後も「弁舌」という武器を持ってしたたかに生き続けた、ディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォードとは決定的に異なるように思える。それが『レイジング・ブル』を見終えて、なんだか悲しい気分になったその原因な気がする。

    とはいえ、それでもジェイクの人生は続く。ボクサーとしての栄光は終わり、妻には逃げられ、苦楽を共にしてきた弟との関係さえ壊れても。それになんとも言い難い感情が湧き上がってくる。

 次はあの超有名作、『タクシー・ドライバー』あたりをいい加減見ようかな。

 

 

 

 

 

【作品情報】

‣1980年/アメリカ

‣監督:マーティン・スコセッシ

‣脚本:ポール・シュレイダー、マーディク・マーティン

‣原作:ジェイク・ラモッタ

‣出演